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7(最終)回:高村薫講演会「近代の終わりを生きる」 

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「近代の終わりを生きる」 高村薫  2013年 3月23日(土) 第295回オムロン文化フォーラム講演から さてそのために求められるのが教育であります。政府は、道徳教育に熱心でありますけども、今必要なのは学力の方です。ただでさえ少子化で子どもの数が減っているのに、勉強についていけない落ちこぼれを出すのは、まさに、国の損失というものであります。 GDPに占める教育の公的支出の割合が日本はOECD加盟国の中でも低いことが時々話題になりますけども、日本の義務教育については、地方自治体の裁量に任せる部分を減らして、それこそ子どもの教育は国が責任を持つという国家の意志をはっきりさせるのが先決だと私は思っております。地方自治体の首長が時々に教育方針にまで恣意的に関与してくるようなことがあってはならないからであります。 高等教育については確かに日本はもっと予算をつぎ込む必要があると思いますけども、これも大学教育の質の低下を 改善する方が先で、そのためにも義務教育から徹底的に底上げを図っていかなければならないと思います。また、国の未来は子どもにかかっていると思えば、教育だけは完全な機会平等を保証しなければならない。 で、最新の世論調査では、親の収入による教育格差を6割が是認しているという数字が出ておりますが、教育格差を認めてしまいますと、安定成長に必要な分厚い中間層を回復することができません。これは、物事を単体で考えてはならないという一例であります。この国を衰退から救うためには、全体の底上げが絶対に不可欠なのです。親の収入で子どもの教育に差がつくようなことはあってはなりません。 ところで、具体的には、とにかく教師の数を増やすこと、教師自体の質を上げることに尽きると思いますけども、ともあれ教育にこそ税金を惜しみなくつぎ込むべきだと思っております。「繁栄の終わりの始まり」を迎えた国が、この先生き延びていくためには、それしか方法が無いのではないかと思います。 で、そして大人たちは、工場労働者も農業従事者もホワイトカラーも、一人一人が高い生産性を持たないと、生活はもちろん公共サービスや医療やインフラを維持するだけの稼ぎを生み出せない。それがこれからの経済環境であります。高い経済成長の時代は終わっても、ゼロ成長やマイナス成長では道路や水道管などの社会インフラの維持管理もできません。だからこそ、なんとかして日々の暮らしを維持するだけの生産を続けなければならない。 そしてそのために私たち日本人はもはや誰一人として漫然と生きていられる余裕はナイというわけであります。私たちは失われた20年の間に、過去の繁栄のストックを使い果たしただけではなくて、1000兆円の借金まで重ねているわけですから、まさにキリギリスをやっている余裕はナイのであります。これは文字通り厳しい生き方と言えるかもしれません。厳しいというのを具体的に言えば、一人一人が能力を問われるキビシサであり、そのために新聞を読んだり勉強をしたりしなければならないキビシサであり、いい加減なところで投げ出したい欲求を抑えて思慮深くなければならないキビシサであり、そしてもちろん、生活の現場では増税や社会福祉の増額、年金支給額の減額などで生活がキツクなることのキビシサでもあります。「繁栄の終わりの始まり」を迎えた国で、あきらめることなく前向きに生きるというのは、まさに私たち一人一人が自覚的にキビシイ人生を生きるということなのだと、そういうふうに思います。 さて、「繁栄の終わりの始まり」をどう生きるかについて、第一に「多数意見に流されないこと」、第二に「一つ一つの問題を単体で捉えないこと」、そして第三に「一人一人が『働き者』になること」の三つを述べさせていただきました。 そこにもう一つ付け加えたいのは、「すぐに結論を出さないこと」であります。「すぐに答えを求めないこと」と言い換えてもかまいません。誰にも確実な未来が見えないときに、何か答えが欲しい気持ちはよくわかりますが、確かな答えは無いからこそ、未来が見えないのであります。そんな時に明快な答えを出す人がいたら、それは神様しかいません。今の世の中で明快な物言いをする人、簡潔な答えを呈示する人、物事を簡潔に言い切る人、こうすればイイと断言してくれる人、より良く生きたければ、どれも信じないことであります。 答えを出してしまいますと、それ以上モノを考えることをしなくなりますし、情報の収集もやめてしまうことになります。先の見えない不安定な時代には、これほど危険なことはありません。むしろ答えを留保して、常に情報を集め、さまざまな意見を聞き、自身もあれこれ考えながら、右でも左でも行けるような柔軟な姿勢でいるのが一番安全なのであります。 えー、さて、「多数意見に流されないこと」、「問題を単体で捉えないこと」、「『働き者』になること」、「すぐに答えを出さないこと」。この四つの生き方を支えるものが「言語能力」であります。早い話が、ものを考え、まとめて、道筋をつけていく言葉の力です。 この言語能力がこの20年の間に、急速に衰えたことを、小説家はだれよりも実感しておりますが、これこそひょっとしたら経済の衰退以上の日本人の存在の危機かもしれません。 ちなみに、今年のセンター試験の国語では、長文読解の小林秀雄の文章が受験生に難しすぎて、平均点が下がったということでありました。あの「ツバ(鍔)」という文章をお読みになった方はおられるでしょうか。アレは、ま、同業者と言うのもおこがましいですけども、小説家の私から見ても、かなりどうでもいい文章であります。で、難解というよりかは、論理的な構成ができていないので読みにくいわけですが、こういう文章を出題する国語の専門家の言語能力からして相当に危ういというふうに感じました。 あんな文章を読まされた受験生も気の毒ですけども、この出題にどこからも異議が唱えられなかったということも含めて、センター試験のこの現状は、冷静に眺めれば、まさに日本人の言語能力の低下、もしくは混乱というべきものだと思います。今求められる言語能力というのは、複雑なものを論理的に整理して把握したり、提示したりする言葉の能力ですから、小林秀雄のアノ文章は、その逆なのであります。 えー、ともあれ、先ほど教育への投資が第一だと申しましたけど、それはまさに衰えた言語能力をなんとかして取り戻すためであります。 クールジャパンは文化としてはおおいにけっこうですけども、複雑な社会の仕組みや、多国家のパワーバランスをきちんと理解し、操っていくのはすべて言葉であることを、これからの日本で生きていく子供たちに叩き込まなければならない。それが私たち大人のつとめだと思うしだいであります。 どうもご清聴ありがとうございました。

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