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5:高村薫講演会「近代の終わりを生きる」

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「近代の終わりを生きる」 高村薫  2013年 3月23日(土) 第295回オムロン文化フォーラム講演から では、そうなった時に私たちは民主主義のルールで決まったことだからと諦めてため息をつくしかないんでしょうか。結論から言えば、そうではないと思います。大きな決定的な変化が起きようとしているときに私たちはやはり黙っていてはならないだろうし、意思表示をしなければなりません。多数決で決まったことではあっても、最後の最後には反対の意思表示は必要であろうと思います。なぜなら、まさに民主主義の多数決のルールそのものが万全ではナイからであります。で、それに代わるルールは今のところまだ発見はされておりませんけども、結果が、自身の信念に反するのであれば、とりあえず反対の声だけは、あげておかなければならないと思います。それをしないとどうなるか、まさに「時代に流される」ということになります。多数の声に流された結果が幸福なものにならないのは、それこそ生きるためのカンというヤツは個々人の感覚の上でしか働かないから であります。生きるためのカンが働かない人に、激変の時代を生き延びることはできません。日本社会は昔から集団の和ということを非常に重要視する社会でありました。多くの企業の社是が「和」でありますし、今でも集団の秩序には黙々と従う遺伝子が日本人の中には生きております。けれども、「繁栄の終わりの始まり」という未経験のステージに立っている今、私たちもまた生き方を変える必要に迫られております。流されてはならない。個人の頭で判断して動かなければならない。そういう時代の到来であります。 また「繁栄の終わりの始まり」に立っているということは、単に経済だけではなくて、都市と地方の関係ですとか、地方自治体の在り方を含めた社会構造、あるいは国防についての意識、生活スタイルと価値観 などなど様々なレベルの問い直しが迫られているということであります。そのどれもが一つ一つ個別にあるのではなくてすべてがかかわり合いながら「繁栄の終わりの始まり」という状況をつくっているという認識が必要になってきます。さらに言えば一つ一つを切り離すことができない。あるいは、切り離してしまっては埋没するか流されていってしまうということであります。たとえば、原発の再稼働問題を見てみたいと思います。昨年行われた討論型世論調査の結果2030年代のエネルギー構成に占める原発の割合について、最終的に参加者の46.7%が原発ゼロを支持するという結果がでました。約半数が原発依存に反対ということであります。ところが、そういう結果が出たのが8月で、その4ヶ月後には原発推進を掲げる自民党が総選挙で圧勝しているのです。これはいったいどういうことか。この珍現象を あえて説明するとしたら、私たち有権者の多くが原発の是非を単体で捉えていたということであります。単体で捉えるので、「それはそれ、これはこれ」という理屈が成立するわけです。つまり、「原発は原発、経済は経済」。「原発はイヤだけれども、やっぱり今は経済の方が大事だよね」。そういう有権者の判断であります。一つ一つの問題を個別に単体で取り上げると、全体の中で埋没してしまう・流されてしまうというのは、そういう意味であります。 去年夏前に国会前を埋めていた反原発運動のデモが結果的に社会的な力を持ち得なかったのもそういうことです。数千人もの参加者がみな原発の是非についてだけ関心を持っている人々であったことによります。、もっと言えば、目下の反原発デモが、かつてのような政治運動でないことが、参加者の裾野を広げた反面、政治運動でないゆえに、政治的な力を持ち得ないということであります。もし政治運動であれば、プラカードには反原発と書いてあっても、その背後に労働政策とか、社会保障制度ですとか、さまざまな政治課題についての政権批判、社会批判が張り付いているわけで、そういうデモがふくらんで一般市民に広がったときに、政治家はやっと本気で恐れることになります。アメリカで起った99%のデモも政治色のないことが最終的に力を持たなかった理由だと思います。翻って中国やエジプトなどで起こる民衆のデモや暴動は、当面のきっかけが何であれ、社会への不満をたっぷり含んでいるという意味で、実に政治的なのであり、だからこそ政府は恐れるわけです。 で、一つ一つの問題を単体で取り上げると、世界に通用しない例というのもあります。歴史問題、歴史認識の問題がそれです。たとえば政治家の多くは、「靖国神社への参拝は個人の心の問題であって、歴史認識とは関係ない」と言います。あるいは、「歴史認識を切り離して二国間の関係改善を図りたい」などという、まあそういう調子のいいことも言います。けれども、過去の戦争は国家の歴史そのものですから、国家と国家の関係において戦争の記憶を切り離すなどということは、ありえません。切り離すのではなく、乗り越えるというのが正しい対処の方法であって、乗り越えるためには、認識の共有が絶対に欠かせないのが道理というものであります。
高村薫・藤原健 作家と新聞記者の対話

高村薫・藤原健 作家と新聞記者の対話

  • 作者: 高村 薫
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2010/01/29
  • メディア: 単行本

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