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4:高村薫講演会「近代の終わりを生きる」

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「近代の終わりを生きる」 高村薫  2013年 3月23日(土) 第295回オムロン文化フォーラム講演から まず、「繁栄の終わりの始まり」の意味するものですが、これは単に経済成長が終わったということではありません。私たちは今、日本というひとつの近代国家の「繁栄の終わりの始まり」を生きているだけではなくて、おそらく、資本主義経済と民主主義というひとつの文明の終わりの始まりを生きているのかもしれません。つまり、たとえば、年月と共に変化していく人口構成、あるいは、それに伴って変わっていく需給のバランス、産業の新陳代謝にも限界があること、さらには輸出先の事情に左右される貿易立国も永遠ではありえないこと、そしてまた資源にも限界があること、さらには天変地異、さまざまな条件の下で一国の歴史と経済は回っていくのですが、たとえば欧米の先進国を見ますと、みんなすでに、経済成長を終えています。そこから安定成長に移行できるか、あるいは、ゆるやかにマイナス成長へ転落してやがて債務危機を迎えるかの二つに一つであるのが、どうやら先進国における資本主義経済の近未来のようであります。で、私たちが学校でならった資本主義経済というのは、そもそも資本家が利潤をあげなければ成立しない仕組みであります。利潤をあげ続けるためには、市場は拡大し続けなければなりません。市場を拡大するために企業はあの手この手をつくすわけですけども、かつての造船業や鉄鋼業、今の電気産業のように市場の拡大に失敗することもありますし、人口減少や不景気で市場が縮むこともある。また、たとえば、マイカーが普及してないときにはどんどん車も売れるでしょうけども、仮に一家に2台も普及してしまえば、車の売れ行きは当然、鈍化します。こうして眺めて見るだけでも、原理的に永久に拡大し続けなければならないような経済メカニズムというのは、やはりどこかで修正局面を迎えるほかないのではと思います。日本は、移民が入って出生率も高いアメリカとは違って、ヨーロッパに近いカタチで既にピークアウトしたのであって、本当はこれからいかにして安定成長へと移行するかが問われているように思います。様々な理由からひとつの国が永遠に経済成長を続けることはできないというふうに思います。私たちが直面しているのはそういう地点ではないでしょうか。 また一つの国家の繁栄の終わりというときに、もうひとつ念頭においておかなければならないのは、グローバル世界であります。2000年を迎える前、これからはグローバル世界だと、人、物、金が自由に国境を超えて行くグローバル経済だと、さかんにバラ色の夢がばらまかれました。その夢になんとなく説得力があったのは、IT技術の進歩が重なっていたからですけども、日本の企業社会にもこれからはグローバル経済だ、グローバル世界になったら何もかもうまくいく、新しいビジネスが花開くなどと根拠のない楽観ムードが広がっておりました。けれども、現実はそれほどバラ色でなかったのは周知のとおりであります。グローバル世界になって、たとえば企業の意思決定のスピード、技術開発力、製品の魅力などなど、産業自体の力が国際競争でむき出しになった結果、電機メーカーはあっと言う間に競争力を失って、転落していきました。そこにあったのは経営のマズサもありますけども、たとえば韓国のサムスン電子を例に取りますと、実はグローバル経済による競争月間の下で、韓国は国家戦略によって集中投資をしたわけです。日本メーカーはそれに敗けたわけですから、たいへん皮肉な話であります。 またグローバル世界と申しましても人と物とマネーの移動に限られた話であって今のところ国民国家に代わる枠組みが発明されているわけではありません。さらに国境を越えた経済活動であるゆえに、そこに宗教や民族や政治体制・国家の意思が忍び込んでくることも避けられません。よく言われることですが、テロもまた国境を超えて拡がっているのがグローバル世界の現実であります。また、人と物とマネーが国境を超えて行き交うゆえに、世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉は国家間の利害の調整が決定的に難しくなってしまいました。代わりに、二国間のFTAやEPAが重宝されているわけですが、これも大きな国と小さな国の二国間となるとどうしても大きな国が有利になります。場合によっては、この自由貿易協定は新たな収奪を産み出す可能性もあります。で、またさらに、TPPのような特定の貿易圏構想は自由貿易圏というタテマエとは別に囲い込みを通じた戦略的な意味合いを帯びているのも現実であります。農業や保険医療分野を犠牲にして日本政府がTPP交渉参加に前のめりになったのも明らかに低下した日本の地位を少しでも引き上げて日米同盟を強化したいという政権の思いが透けて見えてまいります。 で、ともあれグローバル世界はこうして逆に国家のエゴを一層際立たせる状況も生み出しているわけです。そして、多国間の国益が衝突したり利害調整ができずに宙吊りになったりする、そういう状況の多発は、それぞれの国の国民に不利益をもたらし、貧富の差を拡大させ、その結果、国民の不満を募らせて、社会不安やデモを呼び起こし、さらにはナショナリズムや排他主義を呼び込みやすくもなっています。グローバル世界が、あるところでは人々を思いのほか不幸にし、あるところでは民主主義そのものを脅かしているわけであります。2000年ごろ誰がこんな世界を想像したでしょうか。 さて、「繁栄の終わりの始まり」という現在の状況は、同時に資本主義経済の岐路でもあるのかもしれない。そういう話をここまでしてまいりました。一方、民主主義も近年は特に政治において行き詰まりが見られることから、その「限界」ということがアチコチで語られるようになりました。民主主義の負の側面、たとえば意見が割れて、物事がなかなか決まらないとか、少数派の意見が活かされないとか、民主主義も完全ではないという諦めが広く共有されるようになったのも最近の大きな変化であります。もちろん今のところ民主主義に代わる仕組みがあるわけではないですし、私たちは民主主義のルールの下で生きなければならないわけですが、その結果、たとえば、憲法が改正されるかもしれない地点にいつの間にか立ってしまっております。いつの間にか原発依存に戻ってしまっております。
作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)

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  • 作者: 高村 薫
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/10/10
  • メディア: 文庫

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