Quantcast
Channel: So-net blog 共通テーマ 本
Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

3:高村薫講演会「近代の終わりを生きる」

$
0
0
「近代の終わりを生きる」 高村薫  2013年 3月23日(土) 第295回オムロン文化フォーラム講演から 日本ですが、今私たちの目に見えている風景を「繁栄の終わりの始まり」と見るか、あるいは「いつもの景気循環の底にあるだけでこれから景気回復をして成長路線に戻れる」と見るか、どちらと見るかで、それこそ私たちはまっぷたつに分かれております。ちなみに現在の政権は「強い日本を取り戻す」と言っているわけですから、当然景気はどんどん回復して経済大国に返り咲くという見方のはずであります。で、またその政権の支持率が7割ぐらいあるということですので、結局、有権者の多くもそう信じていることになります。と、すれば、「繁栄の終わりの始まり」という見方はどちらかと言えば少数派だということになるかもしれません。 では、そのなぜ私はそう思うかであります。現在この国が立ち至っている状況は金融政策や財政政策などで成長路線に乗せられる乗せられないという、そういう次元の話ではない、そう私などは思うわけですが、その理由は四っつあります。まず、膨張する中国を小さくすることはできないという地勢学的な状況があります。次に、少子高齢化は当分止められないという人口構成の現実があります。第三に、経済再生に不可欠な産業の構造改革と規制緩和がやはりこの国にはできそうにない、もしくは、既に遅すぎるかもしれないという現状認識があります。そして、4番目、先の東日本大震災でつよく感じたことですが、この先、南海トラフで三連動地震が起きたり、あるいは首都圏の直下型地震が起きたりしたときに、この国はもう十分に復興するだけの体力が無いのではないかということであります。ちょうど南海トラフ大地震についての新たな被害想定が発表されましたので、みなさんもよくご存知のことと思います。被害を受ける住宅や企業活動の損失や、あるいは社会インフラの損失など合わせて最大220兆円の損失になるんだそうです。なまじ先進国として膨大な社会インフラのストックを持っているがゆえに、いざと言う時に、復興するには被害が巨大すぎるということに成らざるをえない。そして、それに加えて、もしどこかの原発が重大事故を起こしたら、狭い国土に人間の住めない地域がさらに広がるということにもなります。これが地震の活動期に入った日本特有のきびしい現実であります。このように中国という地勢学上の条件と人口減という社会構造の制約と政治の失策による構造改革の失敗、そして地震という自然条件、合わせて四つの理由で私は今の日本が国家として相当厳しいところに立っていると思うのです。で、もちろんこれは私が思うことであって、皆さんは違うかもしれません。たとえば皆さんの中には、「アベノミクスで景気は上向いているではないか」とおっしゃる方もおられるでしょう。けれどもこれについては、現段階では期待が先行するカタチでの円安株高であって、設備投資や増産などの実質的な成長が始まったわけではありません。現に、キプロスの債務危機で、ユーロの先行き不安が起こりますと、途端に為替が円高に振れていることがその証拠であります。 今の株高は、実体経済を反映したものではないのです。市場が期待しているのは日銀の金融緩和ですけども、その具体的な手法、すなわちどんどん紙幣を刷って、国債をどんどん買い入れて、資金をどんどん市中銀行に流すということを実行したところで、肝心の資金の行き場が無ければ、これまでと同じくお金がダブつくだけに終わります。これも専門家の共通した認識であります。すなわち企業自身が設備投資を増やして増産をする体制にならなければ、景気の回復はないということですけども、その肝心の企業は勢いを取り戻すための道が閉ざされたまま根本的な変化は起きていないのです。 それはなぜか。はじめに申しましたように、日本の企業の長い低迷の原因は、規制緩和ができないことの他に、時代に合せた構造改革ができていないことの二つに尽きるというのが長く生きてきた私の実感であります。長年、構造改革の必要が叫ばれながら、一向に進まなかった結果、産業の新陳代謝ができずに、古い企業・活力を失った企業が残って、新しい産業が生まれなかったということであります。民間で新しく企業を興す開業率とそれと企業をたたむ廃業率の統計があるんですが、日本はどちらも数%台なのに対して、アメリカはどちらも十数%あります。この数字を見るだけでも、アメリカ社会では、企業や産業の入れ替わりが活発に起こっていることが一目瞭然でありますし、その中から、たとえばマイクロソフトもアップルも出てきたわけであります。 ひるがえって日本を見てみますと、たとえば自動車産業は末端まで系列化されているため、トヨタが転ぶとみんな転ぶというそういう仕組みの中で、中小企業の新陳代謝は非常に起こりにくいのがわかります。また、たとえば福島第一原発の事故を起こしてフツウの企業ならつぶれてもおかしくない損失を出しながら、それでもなおこんなに採算の合わない原発をやめようという動きにならない電力業界、これも同様であります。電力会社を頂点にした産業のピラミッドがあまりにも巨大過ぎて、原発をやめようにもやめられない、そういう状況下で日本の産業全体が活力を失っているのは、いわば当たり前の結果ではないかと思います。で、そして活力も競争力もない企業が少々円安や株高になっても従業員の給料に反映させるほどの余裕はありません。赤字をせいぜい黒字にするか、内部留保をして財務体質を補強するのが精一杯であります。と、なると、私たちの所得は伸びず、商品も伸びず、結果的に経済も回復しないということになります。 で、ともあれ、今、私に、目に見えているこの国の風景が「繁栄の終わりの始まり」であると思う理由を、こうして四つばかり述べさせていただきました。要約すれば、どんな政権が誕生してどんな政策を打ち出しても、かつてのような経済成長に戻ることはナイということです。しかし、一方には、強い日本を取り戻すことに自信満々の人たちもいるわけで、こうして人によって、白か黒か、右か左か、180度ちがう方向を見ているというのも先行きが見えない時代のひとつの証しであると思います。 ここまでは、今がどういう時代であるのかという認識についてお話してまいりました。で、それでは、今が仮に「繁栄の終わりの始まり」だとして、そういう時代を私たちはどう生きていったら良いのかというテーマに進みたいと思いますが、はじめに申しましたように私は政治家ではありませんので、具体的な処方箋などは申し上げません。それよりも「繁栄の終わりの始まり」が意味するものを考え、それに向き合う時にどんな視座がありえるのかという抽象的な話にとどめたいと思います。
作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)

作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)

  • 作者: 高村 薫
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/10/10
  • メディア: 文庫

Viewing all articles
Browse latest Browse all 53333

Trending Articles