ど~も。ヴィトゲンシュタインです。 川嶋 康男 著の「九人の乙女 一瞬の夏」を読破しました。 4月に訪れた靖国神社の「遊就館」で、特攻機「桜花」、人間機雷「伏龍」と並んで 印象的だったもの。それが本書の「真岡郵便電信局事件」です。 以来、ちょこちょこと、この事件をWebで調べていましたが、 何冊か本も出てるし、映画やTVドラマになっているのにまったく知りませんでした。 先月、「妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻」を紹介しましたが、 偶然にも本書はその翌日、「8・20」がその時です。 季節感の無い独破戦線としては大変珍しいですね。。 今回は1989年に出た「「九人の乙女」はなぜ死んだか」の改題増補された 2003年発刊で259ページの本書を選んでみました。 第1章「悪魔の朝」では、昭和20(1945)年8月19日の朝の真岡郵便局の状況。 8月8日に対日宣戦を布告し、樺太(サハリン)の北緯50度の国境を突破したソ連軍。 日本が無条件降伏した翌8月16日には艦砲射撃を行って西海岸に上陸してきます。 本書には真岡郵便局庁舎の写真など、所々に白黒写真が掲載されていますが、 樺太の地図は掲載されておらず、その歴史にも触れられていません。 ですから多少なりとも地理関係など、事前の予習があった方が良いですね。 そもそもどれだけの人が「樺太」を「からふと」と速読出来るのかも疑問です。 そして本書の舞台である真岡町(現ホルムスク)でも8月16日から緊急疎開が始まり、 65歳以上の老人に14歳以下の児童と婦女子が引揚げ対象となって、 40名からの職員がいる郵便局の「電話交換室」の女子職員も引揚者が続出。 この19日の晩からは「非常態勢」となり、夜間勤務は高石班の11名。 班長である高石ミキが最年長で24歳。その他、17歳2人を含む乙女たちです。 また「電信課」でも3名の男性職員と4名の女性職員が宿直に・・。 迎えた翌8月20の朝、交換室に「ソ連軍艦4,5隻が真岡方面に向かっている」 との緊急連絡が入り、すぐさま200mほど離れた宿舎にいる 郵便局長の上田に連絡する班長の高石ミキ。 1時間後の午前6時半にはソ連艦隊の姿が窓辺からも見え、威嚇の空砲が響き渡ります。 戦争終結宣言したものの、樺太では戦闘態勢は解除されておらず、 歩兵25連隊第1大隊が駐屯しています。 ここからは空砲がいつの間にか実砲に替わり、上陸するソ連軍とそれに応戦した日本側。 また日本軍が派遣した停戦軍使をソ連軍が射殺する・・といった複雑な展開に・・。 真岡局1Fの「電信課」には上陸したソ連兵による弾丸が断続的に飛び込み、 防空後に避難すべく飛び出す男性職員が2人。 16歳から20歳の乙女は宿直室の押し入れで震えるばかり・・。 それでも残っていた男性職員がシーツで白旗を作って、なんとか窓から差出すのでした。 第2章は、いよいよ別棟2Fの「交換室の悲劇」です。 艦砲射撃の音が地響きとともに腹に伝わるなか、監督席にいた班長の高石ミキが いきなり「青酸カリ」を飲み下します。 もんどりうって床に倒れ、胸を掻きむしりながら転げまわり、母親の名を叫ぶ姿・・。 彼女の後を追うかのように、序列で2番目、23歳の可香谷シゲも紙包みを取り出して 口に入れ、湯呑みの水を一気に飲み干すのでした。 こうして先輩交換手2人が続けざまに自決して、混乱する残された乙女たち・・。 泊居郵便局と交信し、ソ連軍が迫っている現状を報告しますが、 「私も心細いから死にます・・。もうじき露助も上がってくるわ」 同じころ豊原郵便局の電話交換室も真岡局と交信します。 「ソ連が攻めてきました。もうだめです。みんな青酸カリを飲んで静かになったんです」 モニターしていた交換手の誰もが叫びます。 「真岡さん、逃げるのよ!飲まないで逃げなさい。どうか逃げて!」 「もうみなさん死んでいます。私も乙女のまま潔く死にます。みなさん、さようなら・・」。 青酸カリがどのように持ち込まれたのか・・? を本書では検証しています。 樺太の通信局の女子職員には、ソ連軍から凌辱されそうになった場合、 「大和撫子」としての誇りを守るため、潔く命を絶つように教育していたそうです。 ソ連軍による占領地では女性が強姦などの被害を受けており、 防止策として頭を丸坊主にし、顔にスミを塗り、胸にさらしを巻いて男装する・・といった 防衛方法があったということですが、ベルリンでもまったく同じことやってますね。。 1974年には「樺太1945年夏 氷雪の門」という映画が製作されています。 丹波哲郎、黒沢年男、佐原健二、赤木春恵、岸田森まで出演している大作ですが、 ソ連との関係を考慮して配給元の東宝が公開を中止という曰くつき・・。 DVDも出ていませんが、予告編を見つけました。 そして2008年には日本テレビでドラマ「霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち」 が放送。こちらは白石美帆が出てますね。。 第3章は「修羅場からの生還」。 「交換手9名が亡くなった」との電話を受け、2Fの交換室に向かう通信室の男性職員。 そこには18歳と19歳の2名の交換手が床に座って泣きじゃくり、 いまさかんに胸元を掻きむしり、凄まじい形相でもがき苦しむ22歳の交換手の姿・・。 9名が自決し、3名はこのようにして九死に一生を得ます。 このソ連の上陸により真岡の死者・行方不明者は届け出があったものだけでも477人。 そして遂に3人組のソ連兵が正面玄関から入って来るのでした。 中盤を過ぎた第4章は「死を招いた残留命令」で、 局からわずか200mの場所にいたにもかかわらず結局、姿を見せずに生きながらえた 上田局長の戦後の手記を掲載しつつ、残留命令を出したのは誰か・・を検証します。 また、「女子通信戦士」の誇りを持って本土決戦に備えるというその扇動と 電信電話の職場に身を置く乙女たちの気概についても言及。 避難民を満載した「小笠原丸」が国籍不明の潜水艦によって沈没したという話も 興味深いものでした。グストロフ号を思い出しますね。 「エピローグ」では、映画「樺太1945年夏 氷雪の門」についても詳しく紹介。 昭和38年に旧樺太島民の慰霊碑、「九人の乙女の碑」が建立され、 昭和48年には戦没者叙勲として叶えられ、9人に「勲八等宝冠章」が・・。 「あとがき」ではマスコミが生き残った岡田恵美子(当時17歳)に対し、 「なぜ死ななかったのか」と質問するという、「死の美学」と、「敵前逃亡の生き恥じ」について 怒りを持って語ります。いわゆる「特攻崩れ」も同じでしょうか。 半分ほど読み進めて思いましたが、本書は「8・20の自決」そのものをストーリー性を持って 読ませるのではなく、以前から知られていたこの事件の、 知られざる真相に迫ろうとするものです。 ですから、自決シーンは前半に描かれ、後半は疑問追及といった展開になっています。 著者は1995年に「死なないで!―一九四五年真岡郵便局「九人の乙女」」 という 児童向けノンフィクションとしても出しています。 どのような内容なのか、ちょっと気になりますね。 しかし、10年にも及ぶシベリア抑留となった捕虜の方々についても当然ですが、 1945年8月15日で日本にとっての戦争が終わったわけではないことを 改めて理解できる一冊でした。
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