「手塞ぎでしょうから、準娑婆省までそのお土産品は私がお預かりいたしましょう」 逸茂厳記氏が気を利かせて、歩きながら両手を差し出すのでありました。 「これはどうも恐れ入ります」 娑婆時代から無精な性質の拙生は、何時でも手ぶらを尊ぶ者でありましたから、渡りに船と湯呑の入った函を逸茂厳記氏に手渡すのでありました。 乗船ブリッジの入り口にはゲートがあって、そこには娑婆の空港にいるような、制服姿の乗船券を改札する小柄な女性が一鬼と、屈強な体躯の警護の男性二鬼が立っているのでありました。補佐官筆頭が一亡者三鬼の券を纏めて女性に渡すと、女性はそれを一枚ずつ自動改札機に入れて、出て来た半券をゲートを抜ける我々に順番に、ににこやかな笑顔と、行ってらっしゃいませ、の愛想の声と伴に丁重な挙措で手渡してくれるのでありました。 「この船に乗るのは、私は初めてですよ」 発羅津玄喜氏がはしゃいだ声を上げるのでありました。 「まあ、我々鬼は、滅多にこの船に乗る機会なんかないからなあ」 先導して前を歩く補佐官筆頭が、後ろをふり返りながら応えるのでありました。 「中は豪華だぜ。小さな映画館もあるし、テレビルームもあるし、船の丸窓から三途の川の景色を眺めつつコーヒーとかが飲めるカフェテリアもあるし、酒を出すバーラウンジもあるし、カジノもあるし、カラオケルームもあるし、エステサロンだってあるんだぜ。しかも料金は総て無料ときているから、地獄省の中でこんなに魅力的な船は他にはないな」 前に乗船した経験のある逸茂厳記氏が、後輩に船の中の様子を紹介するのでありました。 「へえ、すごいものですねえ。そう云うあれこれのサービスは我々も堪能出来るのですか?」 「いや、出来ないね。これは戻り船だから、総て準備中になっているからな」 「ああそうですか。それはがっかりだなあ」 「まあ、セルフサービスでお茶くらいは飲めるけど」 「あちらからこちらに亡者様を渡す目的のためにこの船が就航しているわけだから、こちらからあちらに行く時は、普通には乗船客は誰もいない事になるからなあ」 これは補佐官筆頭がまた後ろをふり返りながら云う言葉でありました。 「ああ、それでこのブリッジにも我々の他には人影一つ、いや鬼影一つ、或いは霊影一つ、若しくは亡者影一つないわけですね?」 拙生が補佐官筆頭の背中に訊くのでありました。 「そうです。多分乗船客は我々一亡者三鬼だけですね」 補佐官筆頭が上体を窮屈そうに捩じって云うのでありました。 「準娑婆省の港までどのくらいの時間で行けるのですか?」 これは発羅津玄喜氏の質問であります。 「まあ、二三時間と云ったところかな」 補佐官筆頭は一々後ろをふり向くのが億劫になったのか、これはこちらにふり返らずに前を向いた儘云うのでありました。そう云えば確かに、拙生がこちらに来る時もそのくらいの時間、この船の中で過ごしたのでありましたかな。 (続)
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