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使徒言行録 3章1~10節

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<ぺトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(6節)> ユダヤ教徒は毎日決まった時間に家で祈り、特別な場合には神殿で祈った。ぺトロとヨハネも午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。イスラム教の国バングラディシュに行った時、コーランがあまり性能の良くないスピーカーから流れると、男たちがゾロゾロとモスクの方に歩いていた。仕事はどうなっているんだろうかと心配した。 彼らが向かったエルサレム神殿は、ヘロデ大王がBC20年に大改築に取り掛かり、AD64年に完成した。その神殿の威容はユダヤの人々にとっては神の権威を表す誇らしいものであった。しかし、AD70年にはローマの将軍によって崩壊してしまう。 彼らが神殿の境内に入ろうとすると、生まれながら足の不自由な男が神殿の境内に入る人に施しを乞うため、神殿の門の側に置いてもらうため人々に運ばれてきた。肉体的に病んでいる人々は宗教儀礼上、不浄とみなされて神殿に入ることは許されなかった。 主イエスが神殿で両替人の金をまき散らし、その台を倒し「このようなものはここから運び出せ。・・・」と命じられ、あっけにとられる人々に「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言われた場面を思う。威容を誇り弱者を排除する神殿に神はおられないことを示された。主イエスの言われる神殿は御自分の体のことであった。 男は人々から差別され、自分は神からも見放されたと思って、死んだような人生を送っていた。しかし、いつものようにぺトロとヨハネにも施しを乞う彼を見て「わたしたちを見なさい」とぺトロが言った。その眼差しに卑屈さに浸かっていた彼の心が引き上げられた。 「『イエス・キリストの名に・・・』という言葉に触れた時、彼はそれまでの重荷から解放され、他人から援助を受けるだけで誰の役にも立っていないと思っていた人生から、人々の前で神を讃美し、神の栄光を表す者に変えられたのです」と松浦牧師は説かれる。 男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回って神を讃美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、歩くことが出来ずに、いつも門の側で物乞いをしていた彼が歩き回り神を讃美しているのを見た。 「どのような人生であっても、死から生へと変えられ、神の栄光を表すものにして下さる。これが主イエス・キリストのもつ力です」と松浦牧師は結ばれる。

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