全12巻、やっと読破したよ。
マンガだけどさ。
鉄の弓から放たれた鉄の矢が、
その身体に突き刺さっても死なず、
永遠に生き続ける『火の鳥』。
テーマは「愚かな人間」と「輪廻転生」なんだね。
子供の頃に読んでおけば良かったな。
- 作者: 手塚 治虫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/10/12
- メディア: 文庫
全12巻、やっと読破したよ。
マンガだけどさ。
坂木司 角川書店 主人公・八田泳は、日常に楽しみを見いだせないでいる。波に乗った時だけが例外。 が、「終わらない波」というのがあるのを知る。調べてみると、それはアマゾンにあった。 今回の題材はサーフィン。 しかも海じゃなくて川。アマゾン川のポロロッカ。現地の言葉で「大きな音」という意味らしい。 600p の長編だが、ちょうど半分くらいのところで泳はブラジルについてしまう。それまでに、周囲とぶつかったらアルバイトしたりしており、かなりテンポが速い。 アルバイトと言えば、歯医者の話が出てきて、「ははーん」と思って『シンデレラ・ティース』を一時読み返してしまった。そういうことしてる場合じゃない、と戻ってきたりしているので、ちょっと読み終わるのに時間がかかった。 わかりやすく言ってしまうと、泳の成長物語だが、それがものすごく心地よいのはこの人の持ち味。ところどころに毒も忘れていない。 脇にもちゃんと見せ場があるのだが、やっぱ一番は親父さんか。 大人げないところが大好きだ。
隔週刊 燃えろ!新日本プロレス 59号 2014年 1/16号 [分冊百科]
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 1/16号 [雑誌]
Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 02月号 [雑誌]
あらすじ
骨董品の蒐集家としても有名な陶芸家から、紛失した“月の石”を探してほしいという依頼が来た。僕・豆田文治郎も、調査に入った一臣さんへのお使いで現地
へ向かったんだけど、お屋敷に住んでいたのは、腰が低すぎる主人にコスプレメイド、姿を現さない長男など、変な人物ばかり。そしてここにもK×3の影が見
え隠れして…。ついに大規模犯罪に乗り出した迷惑集団K×3。文治郎は、今回も事件の渦中に巻き込まれてしまうのか!?変人奇人、そして美男子。大混乱の
末の大団円―なるか。
(amazonより)
いきなりシリーズ3作目から読んでしまったというまさかの本です(笑)
読み初めてしまったので今更ページを閉じるのも微妙ですし結局読み切りました。
しかもこれが最終巻でした。
読みやすい青春ミステリー的な物を想像していましたが、
それほどミステリー要素がなくて少々残念でしたが、
さっくり読める本でした。
照る日曇る日第648回 「夏の呪文」「闇の乳房」「破船」「秘祭」に続く北の詩人の最新作が届けられました。 冒頭の「青い魚」を皮切りに「キャベツ」、「そら豆」、「カブ」、「サラダ菜」、「みょうが」、「歯」、「ルピナス」、「メークイン」、「ラ・フランス」、「ブラック・オリーヴ」、「オレンジ」、「プラム」、「海月」、「オリーヴ・オイル」、「柘榴」、「林檎」、「肩甲骨の木」と全部で18の詩篇が並んでいるのですが、その大半が私たちにとっても身近な場所にある、いわばなんの変哲もない題材なのです。 ところが詩人がひとたびそれらを凝視すると、「わたし」はたちどころに「青い魚」へと変身し、キャベツの葉は「死者たちの掌」、そら豆は「わたしの醜い親指の第一関節」に、サラダ菜の真ん中には「わたしの桃色の乳首」が咲くことになる。 このようにいともたやすく対象に憑依し、対象と主客一体となった瞬間から、詩人独自の美しくも恐ろしい魔術的な幻想が次々に生まれてくる姿は、一種の驚異というべきでしょう。 そしてそれは、キッチンから飛び立ち、窓から外に出て、街路や海や広大な空を舞い、遠くはるかな宇宙の高みへと飛翔していくあいだに、なにやら人類の普遍的な夢と記憶の記念塔へと変容していくようなのです。 日常から非日常、「いまここ」から「いつかどこか」、個から出て普遍、全体へといたる目には見えない、高くて、氷のように透き通ったスケルトン。 大本教の開祖出口なおが、おのれの身近な素材に憑依して、世界認識の鍵となるお筆先を解きはなったように、詩人は、おのが身の周りのありとあらゆる事物に憑依して、独自の詩語をはなち、それによって固有の世界認識に通ずる独創的な回路を見いだしたのではないでしょうか。 なにゆえに人の心は見えぬのかすべての人は通り過ぎゆく 蝶人
『「もっと話したい!」と思われる人の44のルール』 吉原珠央 2012/12 著者はイメージコンサルタント。 自分の印象を良く見せるためのふるまいについての本。 「もっと話したい!」と思われる人の5つの条件は、ポジティブな言動、反応が良い、感謝する心、分かりやすい、真剣に話を聞く。 自分の心が乱れていたり言動が荒っぽくなっている瞬間に、自身で客観的に気づけるかが重要。 相手にとって余計なことは口にしない。しかし「言葉が足りない」のも良くない。 相手を巻き込む技法は①相手の名前を1分間の会話で3回は呼ぶ ②気持ちよく答えられる質問をする ③相手の話した内容を引用する ④何について話しているか繰り返す ⑤相手の経験を聞きだす。 人は10秒でも相手の話を一方的に聞かされれば疲れを感じる。話が長ければ長いだけ説得力は弱まる。 「動くものに目を奪われる」という人の特性を活用する。つまりジェスチャー。 「ふつう」「すごくいい」「びみょう」を使わない。曖昧さや、いい加減さが出てしまう。 「面倒くさい」「くだらない」「ひまだ」など、ネガティブな言葉を使わない。 (自分のことを)「もう年だから」と言っていいのは自分よりも年下に対してだけ。 30秒以内で話す「カレーの作り方」で説明力をつける練習。他に「褒め倒しゲーム」。
「医は仁術なり」は昔ことばになってしまった感がありますが、この物語ではそんな人と人との繋がりが感じられます。 栗原一止は夏目漱石を敬愛し、信州の「24時間、365日対応」の本庄病院で働く内科医である。写真家である妻・ハルの献身的な支えもあり、多忙な日々を乗り切っている一止に、母校の医局からの誘いがかかる。今の病院で一人でも多くの患者と向き合うか、母校の大学病院で最先端の医療を学ぶか。一止が選択したのは、本庄病院での続投だった(『神様のカルテ』)。 新年度、内科病棟に一止の旧友・進藤辰也が東京の病院から新任の医師としてやってくる。かつて進藤は“医学部の良心”と呼ばれていた。しかし、彼の医師としての行動は周囲を困惑させるものだった。そして、さらに大きな試練が一止たちを待ち受けていた――。 (出版社HPより) 勤務医の激務はよく報道されますが、より医師の少ない地方病院の殺人的ともいえる現状を描きながら、一人の人間としての医師の姿を描いています。作者の夏川草介さんが現役の医師だからこそ描けるリアリティであり、理想の姿なのではないかと思います。 1作目では理想論に思えてなんとなく鼻につく箇所もあったのですが、今作ではそういった部分もなく登場人物の誰もが個性をもって表現されているように感じました。 登場人物がいい人すぎる面もなくはありませんが、それは栗原一止をはじめとする本庄病院の医師や看護師たちの患者や病気に立ち向かう姿勢が周囲に影響を及ぼすのかな、と思います。
<あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。(21節)> ルカ書12章で主イエスは「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らした・・・」とたとえ話をされた。彼は大きい蔵を建て、これから先何年もの蓄えが出来た、飲んだり食ったりして楽しもうと喜んだ。 主イエスは続けられる「しかし、神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は一体誰のものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこの通りだ」と。 森下牧師は「わたしたちは自分にとって重要であり、強く関心を持つ方向に顔を向けます。顔を向ける方向に耳を傾け、心のむく方向に歩みます」と記されている。 病気が治らない時は健康が第一だと思い、受験生がいると頭がよければなぁと思い、環境汚染が報道されるとそのことに神経質になり、財布が底をつくとお金がないとなぁと思ってしまう。自分では気づかないけれど、その時々に心が揺れ「それが一番だ」としている。 主イエスは33節で「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と断言して下さっている。 土着の神々しか知らなかった父母は月や太陽に井戸に鳥居に手を合わせ、お正月は神社に、お盆はお寺にお参りしていた。父母は愛していたが、それによって格段幸せな人生を歩んだわけでなく、彼らの信仰が何につながるのか娘には分からなかった。 友人にキリスト教を教えられたとき初めて目からうろこが落ちた。ヘブライ書11章でパウロが「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」と説いている。最初は難しい話だと思ったが、だんだん理解できるようになった。 「神の義と神の正義」は人間の持つ価値観から生まれてくるものではない。思いがけない試練にあって神の存在さえ疑いたくなるような時でも、ヨブのように「神様、なぜですか」と神に問い、神の声を、その答えを待つようにと主イエスは言って下さっている。
総理大臣が話していることをテレビなどで見ると、要は、「バブル経済が再来するよう頑張ります」と言っているようにしか聞こえない。そんなことより、私は、財政赤字の方が心配でならないし、本当にバブル経済もどきが再来するのであれば、2020年のオリンピック後に大恐慌が来て、そのまま、中国と戦争に突入なんてことになりそうだ。
バブルの頃、私は、そういう経済や社会とは隔絶した生活をしていたので、何も享受した覚えもないし、楽しかった覚えもない。確かに、金融機関に勤め始めたころ、「あのころは一晩で銀座で何十万も使ったもんだ。」と自慢げに話している同僚がいたが、果たして、(1回だけの経験なら珍しい体験として貴重かも知れないが)そのような暮らしが継続することは喜びなのだろうか?バブル期に採用された同僚は、「俺は●大(ちょっと二流の大学)だから、同期で●大出が40人いたが、今では●大は4人しか採用されない。」楽して入社できるということは、幸運なのか? 失業率は低くなって欲しいと思うが、株価や不動産価格ばかり上がっても仕方がない。
あぶく銭を持っていて、それを消費することは、幸せなのか、と、総理大臣の「バブル再来!」を聞く度に思う。
本 『茶の本』岡倉天心 ★・・・・・ この本の解説で、 『東洋の理想』・『茶の本』の 冒頭を比較検討 ★::::: 『東洋の理想』の冒頭では 東洋と西洋の文明的特徴を比較しているが 天心の浪漫的な詩人の資質があらわれている ★∴∴∴ 『茶の本』の冒頭になると 音調は詩的でありながら、 ある沈痛なひびきを印象づける ★<<<<< 岡倉天心は、 明治31年、東京美術学校の校長の職を追われ、 官学に対抗する在野アカデミーの日本美術院も、数年後には幻滅に終わっている ★+++++ その後の1902年(明治35年)<40歳>から1906年(明治39年)<44歳>にかけて 『東洋の理想』・『日本の覚醒』・『東洋の覚醒』・『茶の本』を英文で出版 近代の西洋文明に対してアジアの美と宗教にもとづく文明の理想を情熱的に語っている ★~~~~~ 西洋文明が押し寄せてきた時代にどのように対応するか 産業革命・高度経済成長・グローバリズムと続く 何を理想とするのか、現代ともリンクする ★☆彡 その一方で 世の中が動く中で 人々の心も揺れ動く 岡倉天心 『茶の本(英文収録)』 講談社学術文庫 840円+税