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「オーロラの犬ぞりレース アラスカ 1,600キロをゆく」 @NHK BSプレミアム
ユーコン・クエスト(Yukon Quest) という名の犬ぞりレース。その距離なんと1,600Km、10日間昼も夜も走り続ける過酷なもの、単純計算で1日160Km! 14頭立ての犬ぞりを駆るレーサーは「マッシャー」と呼ばれ、アラスカではスターだ。このレースには24人のマッシャーが挑戦、しかし毎年3分の1は完走を果たせないという。標高差1,000mの山を越え、凍ったユーコン川の乱氷に苦しみ、始めに14頭で走っていた犬たちが、けがや体調不良で、1頭また1頭と減っていく。優勝者も最後には10頭まで減っていた。マッシャー以外の人が犬に触ることは禁じられているので、全部の犬を一人で面倒見なければならない。どんな餌を与えるかや、休憩の取り方もレース結果を大いに左右する。この番組は2010年のレースを取材したもので、再放送。犬ぞりレースがあることは知っていたが、こんなにも長い距離を走るとは!!
内容(「BOOK」データベースより)現在国連を舞台にして検討が進められている持続可能な開発目標(SDGs)は、2016年から2030年までの国際社会の取り組むべき課題を整理し、これを17の目標にまとめている。そこで懸念されているのは今の我々の生活スタイルは持続不可能で、それでも続けようとすれば、自然環境だけでなく、地球自体にも過大な負担を強いることになるというものだ。 日本は低炭素技術を用いた環境管理に関しては高い技術力を持っていると国際的にも評価されている。環境への取組みがミクロレベルになればなるほど、国際的な評判とはかけ離れた、情けない人々の行状が目立つようになる。生活ゴミをコンビニのゴミ箱に持ち込む輩があまりに多いために、コンビニはゴミ箱を屋外に置かなくなってしまったし、駅のゴミ箱も撤去されてしまい、ちょっとしたゴミでも捨てるのに困るようになってしまった。僕の自宅の周辺の歩道の植木は、誰がやるのか空き缶やアイスの包み紙が枝に挟まっているのが日常茶飯事だし、ひどい時は誰がやったかわからぬけれど、わが家の前にゴミ袋が放置されていた。こんなのはそれが文化と化している南アジアのインドやネパールと同じ光景だ。喫煙だって、自宅の室内が臭くならないよう、ベランダで一服する人が多いが、そういう人がご近所にいると、そのにおいは我々にも襲いかかってくる。自分さえ良ければ他にどんな外部不経済をもたらしていようと知ったことではないとでも思っているのだろうか。 富士山が世界遺産登録されたと報じられた時、僕が真っ先に思い出したのは、1970年代前半の小学生時代、社会科かなにかの教科書の挿入写真で見た富士スバルライン沿道の森林の写真だった。排気ガスの影響で木が枯れ始め、沿道には既にゴミが捨てられていた。「公害」という言葉が一般に用いられるようになるより以前に、既に富士山周辺では環境問題が起きていたのだ。 報道を見ていてさらに強く感じたのは、これで富士山登山客が増えて、地元の経済が潤うという、経済効果に対する期待ばかりが報じられているということだった。これは国内の事物が世界遺産登録されるたびに毎回感じることで、地元の関係者は「これで来訪者がもっと増えて地域経済活性化につながる」と必ずコメントされる。世界遺産登録すら成長戦略の一環と位置付けているふしが政府首脳のご発言にも感じられる。 そんな力技で成長テコ入れが短期的にはできたとしても、環境破壊のような外部不経済は間違いなく進む。富岡製糸場のような産業文化遺産なら地元住民はその観光資源の保全に努力もされるだろう。でも、それが自然環境である場合はどうだろうか。地元住民は、富士山とその周辺の自然環境の保全に、どれくらいの努力を傾けているのだろうか。世界中で持続可能な開発への貢献が求められている昨今、足元の国内で持続不可能な開発が行われているようでは、国際場裏で何を言っても唇寒しではないだろうか。 ―――富士山の世界遺産認定のニュースを聴いた時、僕はそんなことを考えて少しシラケた気分になった。 本日ご紹介する野口健さんの著書を読んで、そんな意を改めて強くした。ふだんのしゃべり方とかをテレビで聴いているとちょっとチャラい印象もある野口さんだが、思い込んだら一直線、直情径行の行動主義の人で、構想を形にすることに秀でた人だ。しかも、その本質を直感的に見抜く力がすごい。そうやって問題の本質を見抜き、行動し、そして学ぶ。集められた情報は僕らにとっても非常に有益だ。本書を読まなければ、知らなかったことも多かった。 例えば、今回の富士山の世界遺産登録が、「自然遺産」ではなく、「文化遺産」として登録されていた点。報道では「世界遺産」としか報じられていないから見落とされがちだが、もしそれが「文化遺産」として登録されたのなら、富岡のケースと同様、富士山の保全だけでなく、富士山信仰にまつわる文化、風俗習慣といったものも併せて保全していく必要がある筈だ。富士山を信仰した人たちが、どのような気持ちで山頂を目指したのか、それを考えたら、単に「山頂行ってご来光見てきました」的なノリで、観光の延長線上で山頂を目指す人が増えるだけでいいのかという気もしてしまう。 そして、これも報じられていないが、今回の世界遺産登録には「宿題」も付いており、まさにその信仰の山としての富士山を実証できるような取組みの実践について、3年後の2016年春までにユネスコに報告しなければならない、これにしくじると、世界遺産登録自体が取り消されるのだとか。大丈夫なんだろうか。まあ、登録を取り消されて国際社会で赤っ恥をかくというのも、僕らひとり一人が自分たちの身の程を知るという意味ではいいのかもしれないが。 富士山の保全活動が進まない理由の1つが、隣接する山梨県と静岡県の考え方の違いだとか、また富士山頂付近の土地の所有権が確定していて、行政の影響が及びづらいとか、いろいろな事情があるらしい。五号目あたりで売店を開いている人の中には、地元の政治家の関係者も含まれていて、利権も絡んでいるのだとか。 なんだか、霊峰富士の周りに蠢く、見にくい人間のサガを垣間見てしまった気がする。 富士山に登ってみたいと思っている人は、実際に行動に移す前に、この本を一度読んでみるといい。登るなとは言わないが、登山にはそれなりの責任が伴うということを自覚すべきだ。そして、その環境、信仰文化を守るために、野口さんが本書で提唱されていることを支持し、実際に自分たちでできることに取り組むべきだ。
美しい「日本の象徴」でいま起こっていることは、日本社会が抱える問題そのものだ!複雑に絡まり合う利害関係をどう解きほぐし、国家の宝を後世の人々へと受け継ぐべきか。日本を代表するアルピニストが語った「ほんとうに質のよい観光」とは。
眼鏡について書いてみようと思うが、タダのつまらないエッセイになってしまうかもしれない。
眼鏡というものは見えにくい者が見えるようになるという意味では便利な発明品なのだが、案外厄介なものだと私は思っている。なにしろ目が悪い私にとって眼鏡をかけないと者が見えないのだから。近眼なので、裸眼では離れた人の顔もわからない。だから眼鏡をかけるのだが、そうすると鼻の上にかなりの異物感を感じてとても不快感が募る。邪魔だなと思って眼鏡を外すと遠くが見えなくなってしまう。最近では近眼なのに老眼も加わって来たからなおさら厄介だ。近眼鏡と老眼鏡の二つを持っていちいちかけ替えなければならないのだから。
だがまぁ、そんなことはいまさらな話ではある。目が悪い人間はみんなそうやって眼鏡をかけたり外したりして普通に過ごしているのだから。
しかしほんとうに厄介だと思うことはここから話すことだ。
私は十歳くらいから眼鏡を使いはじめたのだが、それから数十年、自分の素顔というものをちゃんと見たことがない。素顔というのは眼鏡をかけていない顔ということだ。
素顔のままで鏡に自分の顔を写すと、ぼんやりと輪郭が見える。もっとよく見ようと顔を近づけると見やすくはなるが、全体像はつかみにくくなる。そこで眼鏡をかける。そうするとはっきりと見えるがそこに写っているのは素顔ではない。
眼鏡をかけると見えなくて、眼鏡を外すと見えにくくなるものなーんだ?
まるで下手ななぞなぞのようではないか。
とにかく、自分の顔をくっきり見るためには眼鏡が必要だという生活をずーっとしてきたので、眼鏡なしの顔を見ることができなかったのだ。
大人になると同時にコンタクトレンズというものが一般的になってきても、しばらくは手を出せなかった。目に直接つけると言うのがなんとも恐ろしかったし、実際に目が痛くなるというような話も聞いたことがあったからだ。それにいまさら眼鏡を外すなんて、というなんだか意味もなく恥ずかしいような気持ちもあったような気がする。
ところがどういう弾みだったかはわすれたが、ある時突然私は「そうだコンタクトに変えよう!」と思い立った。
そう決めるとさっそく眼科を訪ね、試しにコンタクトを試した。それでも固いレンズを目に入れるというのは抵抗があったおで、その頃すでにかなり進化していたソフトレンズというものを入れてみた。
なんの違和感もなく、なにより鏡の中に素顔の自分がくっきりと写っていることに驚いた。
いや、驚いたのは素顔が見えるということ自体ではなくて、鏡に写った自分の素顔にだった。
私はこんな顔してたんだ。十歳の頃に見て以来見たことのない私の素顔は、すっかり大人になってしまっていた。まるでタイムトラベルでもしたかのような感覚。
正直、私は決して美形というわけではないけれども、鏡の中の素顔は結構イケているように思えた。
漫画やドラマで定番的にあるストーリー。眼鏡をかけたブスな女の子が、眼鏡を外してみるとすっごい美人で、男たちの間で人気者になってしまうというアレだ。
私は鏡の中にそんな自分を見た。
もっときれいになりたい。もっときれいになれる。
それまで恋の経験もほとんどなかった私は急に目覚めてしまった。これからは眼鏡のない人生がはじまる。私は違う自分になれる!
眼鏡を必需品として顔に張り付けている間は邪魔に思えるものだった眼鏡は、実はおしゃれ小道具だったり、変装に使われたりもするアイテムだ。考えてみればおかしな話だが、コンタクトをつけた私は、それまで厄介者にしていた眼鏡を積極的に使うようにもなった。伊達眼鏡とか、サングラスとかをたくさん買い求めて、使い分けるようになったのだ。
眼鏡がいらなくなったのに、眼鏡を買う。
いらなくなったのにいるものなーんだ?
やっぱりなぞなぞみたいだ。
こうして素顔を再認識した私は化粧をするようになり、若い頃よりも若返った気分で暮らすようになった。もちろん、生活スタイルもすっかり変わってしまった。眼鏡はそれほどの意味をもっていたのだ。
地味に暮らしていた一人の人間が、眼鏡をきっかけに美しく変身し、きらびやかな衣装で人前に姿をさらせるようになったという、いわばシンデレラストーリーのような収まり方をしたが、最後につけ加えるならば、眼鏡をかけていた頃の私はタダの中年のおじさんだったということだ。
了
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日本の医療 知られざる変革者たち 「海堂ラボ」vol.3 (PHP新書)
評価:★★★
相撲大会全国4位の章、パソコンが得意な遷太郎、
紅一点でリーダーの未奈美、彼女の "暴走" を止める時雄、
そして "名探偵" の芳人。
小学校5年生の5人組が結成した「少年探偵団」が
駐在の亮さんと一緒に、いろいろな事件を解決していく連作集。
「クリスマスダンス」
聖夜に起こった密室殺人事件に首を突っ込んだ探偵団だったが・・・
この作品は本来単発のはずだったらしい。
雰囲気も他の作品とは異なるのはそれが理由。
私も「少年探偵団」のおかげで読書の道へ入ったわけで、
作中に描かれている、乱歩によるオリジナルシリーズへの考察も、
二十面相の "正体" についても、とても面白く読ませてもらった。
「桃霞少年探偵団 対 清流戦隊」
この作品から "探偵団" は6年生に進級。
商店会主催のアトラクション「清流戦隊リバーレンジャー」。
ところが、ショーの最中にスタッフの一人が殴打されて意識不明に。
作中で披露される戦隊シリーズやライダー、ウルトラマン系の蘊蓄が
とんでもなく半端ない。作者のものすごいヲタぶりも楽しめる(笑)。
巻末の著者紹介によると、作者は私とほぼ同世代でなんか納得。
「ルナティックをつかまえろ」
桃霞の町中で悪質な悪戯を繰り返す、怪人 "ルナティック" 。
クラスメートの母親が "幽霊マンション" の屋上から
突き落とされたことから、探偵団は怪人捜しに巻き込まれる。
犯人の姿は目撃されたものの逃げ道はなく、
"密室からの人間消失" 事件の様相を示すが・・・
「不愉快な誘拐」
クラスメートの雪世が誘拐された! 要求はなんと20万円(?)。
父親が身代金の受け渡しに赴くが、その間に雪世が還ってくる
何と彼女は誘拐されてなんかいなかった・・・
謎の誘拐騒ぎの裏に隠された謎に、探偵団が挑む。
「異次元ケーブルカーの秘密」
桃霞町に50年前からある都市伝説。
それは町にあるケーブルカーから、乗客が消えるというもの。
そしてつい最近も、ストーカーにつきまとわれる女性が消えたという。
ウワサを聞きつけた探偵団は、真相解明に乗り出すが・・・
いやあ、この人間消失トリック、すごくいい。
わかってみればコロンブスの卵なんだけどねぇ。
ちなににこの最後の短編は、
続編へのつなぎというか伏線になってるようです。
電撃G's magazine (ジーズマガジン) 2015年 02月号 [雑誌]
電撃G'sコミック Vol.9 2015年 02月号 [雑誌]