松岡修造 日めくりカレンダー☆
まいにち、修造! 心を元気にする本気の応援メッセージ
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何かに躓いた日、心が折れそうな日、 一歩を踏み出せない日……
日々挫けそうになる心を、
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ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
「俳句のはじまる場所―実力俳人への道」 著者:小澤實 発行:角川学芸出版(角川選書) 小澤實(おざわみのる)氏の作品。 昭和31年(1956)、長野市生まれ。 昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。十五年間の「鷹」編集長を経て、平成12年(2000)4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。 平成10年、第二句集『立像』によって、第二十一回俳人協会新人賞受賞。平成17年、第三句集『瞬間』によって、第五十七回読売文学賞受賞(ともに角川書店刊)。 俳人協会幹事、産経新聞俳壇選者。 著者は「初心者に向かい俳句の世界への招待を書いていきたい。また、初心者という段階を過ぎつつある読者にとっても意味をもつものをが書けたらと思っている」と言っている。 あらゆるところで勧められている俳句初心者のバイブルに、著者の師である藤田湘子の著作「20週俳句入門」がある。 「や」、「かな」、「けり」などの切字を使う俳句の典型的な型を学ぶことにより、俳句を作るというようなものである。 著者は、この藤田湘子の姿勢を継承していくという。 また、それに著者自身の個性を加えられたものが本書であるように感じられた。 俳句という形式は、それ自体が不思議な力を持っているという。 著者は、非常に疲れているときに、句会に出席し披講や講評を聞いているうちに元気になってくる経験や、こころ屈しているときに思い出した一句に救われるような経験をされたことがあるようである。 俳句の好きな仲間に会う喜びによって癒されていることもあるが、俳句そのものに癒す力があると確信を持たれているようだ。
今週の1枚。「デラックスケーキ」
私にはミルクの味が強くて食べ切れなかった・・・残念。
本です。
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◇冷たい校舎の時は止まる:息が詰まるような空間と時間の流れのなか、最後まで
なかなか全貌が見えず、はらはらさせられた。それぞれ
弱さがあり、強さがある。子供たちはさまざまなことを
乗り越えて成長していくのだな・・・。
今日は「たちよみの会」例会。一人で黙々と読書。今月も誰も来ないのかなあとあきらめていたら、古参会員Y氏が来てくれてやれやれ。タイガースの話など。例会後、三条の「がんこ」でてっさやちゃんこ鍋などを食す。 イラストレーターの 水玉螢之丞さんの訃報に接する。享年55。死因は肺がん。 年の近い人の訃報はこたえる。しかも、水玉さんとはずいぶん昔ではあるけれど、京都SFフェスで話をしたりもしていたから、よけいに。 四半世紀前くらいに、若い男性向けの雑誌の読者投稿欄に絵をつけてはったのが、水玉さんの名を知った最初やったかな。ちょっとエッチな投稿にかわいらしい絵柄のイラストがついているのが印象的で、しかも書き手の名前は性別不明。コメント付きのイラストやったけれど、そのコメントもセンスがあって、毎月楽しみにしていた。 そのあと岩波ジュニア新書の「ナウなヤング」のイラストがまたよかった。本人にその話を振るとちょっと「もうその話はいいよ」みたいな感じのリアクションが返ってきたんで、それ以上つっこまなんだけど。 SFマガジンの連載は毎月楽しみにしていたし、堺三保さんの様々な似顔絵、西澤保彦さんのミステリのイラストなど、印象深い仕事が多い。 SFマガジンの連載で、SFファンとタイガースファンの心境を重ね合わせたりしていると、「そうそう」と読みながらうなずいたよなあ。そう、水玉さんはタイガースファンでもあったのです。 あのだらだらと自嘲気味につぶやく独特の文章をもう読むことができず、あの丸っこくてかわいらしいイラストを見ることができないと思うと、なんとも寂しい。 謹んで哀悼の意を表します。
九州豊後の羽根藩の藩士伊吹櫂蔵は宴席での粗相で お役御免となった 藩内で剣の達人と評判だった伊吹櫂蔵は、大阪商人との宴席で 刀で畳を斬るという粗相を犯し、お役御免となり隠居を命じられ 家督は異母弟に譲り、自らは漁村の漁師小屋で酒に溺れ”襤褸蔵”と 呼ばれていた。 櫂蔵は、漁村にある飲み屋お芳の店で実家から送金があると酒を 飲み、博打で負けて使い果たしていた。 家督を譲った異母弟の新五郎が櫂蔵を訪ね仕事でしくじり家伝の品を 処分したと報告を受けた。 そして、数日後、新五郎は櫂蔵に遺書を残し切腹した。 遺書には、新田開発のために代官所のご用達商人小倉屋から借り出した 5千両が藩の江戸表に送金され行方不明になり、その失態の責任を 取らされたと記していた。 櫂蔵は、新五郎の跡をついで同じ役目を任され5千両の行方を追うという 内容で、どこの藩にも悪い奴がいて商人と結託し甘い汁を吸ってのうのうと している。 片方にお家のことを考えて生きる侍がいて財政の建て直しを考えているが そういう侍を悪い奴らは邪魔者と考えていた。 生きることの辛さと正義を行うことの難しさを学びたいひとにはお勧めです。
登場人物のキャラクターの紹介に使われただけだろうの宿泊客がおり、従って登場人物も増えて、悪戯に長くなっている感が否めない。 そうなると犯人などは後で出てくるのでないかと思ってしまう。 で、「そうなのか!?」と思ってしまうのだが、そこまでが長いので、驚き感が薄れている。 辻褄は見事にあっているので、時間を置かずに一気に読めば、良かったんだろう。 やはり、あの二人出さないと、犯人は判りやすくなってしまうか。 ロイヤルパーク・ホテルをモデルにしているというが、ちょっとイメージが異なる。 エントランスなど特に。犯人が待ち伏せする場所が無い。 お勧め度:☆☆☆ 長尺度:☆☆☆★ 俺度:☆☆☆ 続編であるが前日譚
Jackie Evancho - Silent Night / Lyrics
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『大人の樹木学』
石井誠治(樹木医、森林インストラクター)
新書y(2013)
世界一高い木は
北アメリカ・カリフォルニア州の
海岸林に生えるセコイアメスギ。115m
日本で一番葉が広い木はホオノキ
平安時代の遺跡は1m下から掘り出される。
一年で1mmの土が増える
熱帯樹木は年輪がはっきりしない
自然状態で一本だけ生えている木はない
ウンシュウミカンには種がない
ケヤキ。扇状に広がる
ムクノキ。ブルーベリーのような実
一里塚に最適なエノキ
変わった形の葉のオヒョウ
三嶋神社のウスギモクセイ。樹齢1200年。天然記念物
富山の石抱きスギ
一本の木なのにクスの森、下関のクスノキ
イチョウやソテツの精子は泳ぐ
☆☆☆☆☆
難易度2/5 推薦度3/5
・今日の一言(本文より)
現在は木材価格低迷と外国産の木材輸入で、木材の切り出しが少ないため、有史以来もっとも山に木がたくさんある時代なのです。
현재는 목재가격 침체와 외국산 목재의 수입 때문에 목재를 베어서 실어 내는 수량이 적어서 산에 역사상 나무가 가장 많은 시대입니다.
由于木材价格的低迷和国外木材的进口,令木材的砍伐减少,所以现在成为有史以来山中树木数量最多的时代。
The current era has the most trees in the mountains in recorded history due to the drop in price of wood and importing foreign wood causing logging to decrease.
アーカイブ・ボランティア-国内の被災地で、そして海外の難民資料を (阪大リーブル048)
内容(「BOOK」データベースより)読了してから少し日数が経過してしまったが、公文書管理に関する本をもう1冊読んだのがあるので、ご紹介しておく。 人は、何らかの行動をした後に必ず記録を残す。個人のレベルでいっても、日記や報告書のような形で意識的に残す場合もあるし、記録を残すという意識をしていなくても、メールやツイッターのようなものは無意識に記録を残していることになる。この積み上げられた記録のうち、後に残す必要があると考えられるものを保存し、他者であっても後に参照できる形で残されたものがアーカイブだという。平時であれば、このシステムが、国や公的機関、会社や団体にはちゃんと整備されており、記録の生成から保管まである程度自動的になされるようになっている。個人のレベルで言えば、フェースブックやブログはそうした個人アーカイブだと言える。(開設から間もなく10年を迎える我が『サンチャイ☆ブログ』も、ここまで来ると立派な個人アーカイブだ。) ところが、そうした記録を残すプロセスが、突然断絶するようなことが起きたりする。それは例えば地域全体をのみ込んでしまうような自然災害であるとか、戦争や内戦といったものであることもあり得る。企業だったら社屋の火事なんてのも該当するかもしれない。そうした場合、既存資料の復旧によるアーカイブの再構築や、災害を機とする地域の記憶の新たな掘り起しによるアーカイブの拡充といった取組みが必要となり得る。それは、公務員の業務としてやられるべきものもあるにはあるが、なにせ流出したりダメージを受けたりした資料は膨大で、短期的な復旧作業は特に、公務員だけでは何ともならない。被災直後はそれ以上に喫緊のニーズが被災地域にはあるため、公的機関の活動はそれらに取られてしまうのは当たり前のことだ。 従って、緊急性は低いかもしれないが重要性は高く、かつ作業量も膨大だというものについては、ボランティアの参加もあり得る。本書は、そうしたボランティアの役割に光を当て、実際に東日本大震災や紀伊半島集中豪雨、福島原発事故等の際に、保存資料のレスキューがどのような人々によって、どのように行われていたのかを紹介する。加えて、第2部として、海外に残る戦争の記録や難民の記録を扱った、赤十字国際委員会、国連、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)等の活動と、そこでのボランティアの関わり方について紹介している。 冒頭の緒言で述べられているように、日本の地域社会は、今を生きている人たちだけでなく、死者や自然とともに成立しているという考え方がある。本書の根源的な問いは、「死者の臨在する社会を大切にしていくために、我々はどうすればいいのか?」である。そして、これに対する答えが、「市民がボランティアとして協力し合って、人々が生きたことの証を集積し、アーカイブとして保存し、活用していく」ことなのだと本書は主張する。 災害発生後には、国や企業、団体、研究者や専門家等であれば保存の対象とも見ていなかったものが行き場を失う。「瓦礫」としてひとくくりにされてしまうような被災地の様々な物品は、人々の生きた証であるのに、そこに光が当たらない状況がある。本書では被災した公文書の復旧への取組もさることながら、こうした人々の生活物品――特に、写真やアルバム、文集、日記等の類――の蒐集と整理、保存等にも言及する。そこには、市民の視点が必要不可欠だとするのも本書の重要な論点だと言える。 文書を残すことの重要性を改めて痛感させられる。記録文書を保存する作業におけるボランティアの活動に焦点を当てたという点では確かにユニークで、実は本書を読むまで、こうしたボランティアのニーズが被災地にはあるというのを殆ど知らなかった。 では、僕のようにアーカイブに多少関心を持ち始めているけれどもまだまだど素人な人間が気安く参加できるボランティアなのかというと、そこは本書は自信を与えてくれない。本書で登場するボランティアのほとんどが文書学、図書館学、情報学といった専門の方々で、僕達のような知見のない者が気軽に参加していいものかどうかという点では、必ずしも不安の解消には応えてくれていないように思う。「知識が豊富で分別がありパワフルで、しかも時間があり賃金はなくてもそこそこお仕事のできるシニア世代の方々は、うってつけのアーカイブ・ボランティア候補者」だと執筆協力者が述べているが、そこまでの確証は本書を読むだけでは得られなかった。 それと、本書は現存する公的資料の復旧と保存・整理に重点を置いており、離散してしまった個人資料の蒐集におけるボランティアの活用にはあまり触れられていないのが残念だった。瓦礫の中から資料を見つけ出し、これを復旧するところでボランティア活動の大きな役割があったとは報道などでよく聞いているが、ではそれを地域の記憶として整理したり、或いはそこに暮らしていた人々のライフヒストリーを新たに聞き取りして、発災時のレスポンスに関する教訓等を得ようというところにつなげる試みについては、あまり光が当たっていないような気がした。 最後に、もう1つ本書のユニークな点を挙げるとすれば、それは海外の、迫害などにより国境を越えて避難した人々の記録にもスポットを当てていることだ。難民の人々は、最小限の家財道具だけを携行して難を逃れてきているため、前に住んでいた地域での生きた証がほとんど手元に残っていない。これをきちんと整理して、まず避難した人々自身が見られるように、そして後にはその歴史が辿れるように、手間ひまかけてアーカイブが残されなければならないと編集責任者は述べている。 数年前、僕は参加した研究会で、南アフリカのアパルトヘイト政策について、その地域における黒人迫害の歴史を語る写真や文書などを記録に残す博物館が、その後の地域の民族間融和に貢献しているという事例について発表した研究者がいて、博物館と民族融和が頭の中でつながらなくて、発表された論文の内容を理解するのに苦戦を強いられるという経験をした。今になって振り返ってみると、博物館というよりも、アーカイブ自体が、自らの犯した歴史上の過ちを直視するという国の姿勢を示すものなのかもと改めて思える。当時はまったく手も足も出なかったあの論文、今読み直してみたら、感じることもあるかもしれない。
シニアがはじめた活動に若者も参加し、海外オフィスを体験。迫害を逃れた難民の資料をフォルダに入れてアーカイブは残る。