『悪童日記』『ふたりの証拠』を読んで3年以上時間が開いてしまったので、最早忘却の彼方(笑。コメントも頂いたので、『第三の嘘』を読んでみました。久々にkindleで読書です。
『
悪童日記』は、ナチス・ドイツによって支配された第二次世界大戦末期のハンガリーを描いた小説です。田舎に疎開し母方の祖母に預けられた双子の少年の体験を、乾いた文体で綴った銃後の小国民、悪ガキ日記です。双子の兄弟のひとりクラウスは終戦直後の国境を西側に越え、 『
ふたりの証拠』は、故国に残った双子の片割れリュカの生活が、共産主義国家となった祖国と、ハンガリー動乱の政治状況下で描かれます。
第三部が『第三の嘘』ですから、第一部は「第一の嘘」第二部は「第二の嘘」、もともと双子の兄弟は存在しなかったのではないかというのが、私の推理でした。
『第三の嘘』は構成が入り組んでいます。予想に反しクラウスとリュカが登場し、ともに「私」という一人称で、過去と現在を往き来して自己を語り出します。それどころか、 クラウスとリュカが対面しますから、私の推理は外れたことになります。本書が一見複雑な構成を取っていると見えるのは、クラウスには、CLAUSとKLAUSのふたりが存在することです。このふたりのクラウスは中盤でに明かされますが、読んでいる方はこんがらがります。第一部がCLAUS(実はリュカ)の物語であり、第二部がKLAUSU(クラウス)の物語となっています。日本語ではクラウスですが、原書ではどうなんでしょう。
【第一部】
『
悪童日記』の最後で国境を超えて西側に渡ったクラウス(CLAUS)の帰郷から物語は始まります。
クラウスは少年時代の大半を病院で過ごし、病院が空襲で破壊されたため、修道女によってK市のはずれ国境の近くにある百姓女のところに預けられます。
のちに私は、その老女を「おばあちゃん」と呼ぶようになった。彼女のほうは、いつも私を「牝犬の子」と呼んだ。
これは『悪僧日記』にあるとおりです。クラウスは旅行者の荷物を運んだり、居酒屋でハーモニカの演奏をしたりしながら小遣いを貯め、紙と鉛筆、一冊の大きな帳面を買います。
その大きな帳面に、私は、私の初めての噓を書きしるしたのだった。
こんなことはそっくり全部、ひとつの噓にすぎない。私にはよくわかっているのだ。この町で、おばあちゃんの家にいた時、自分はすでにひとりぼっちだった。あの頃でさえ、耐えがたい孤独に耐えるために自分が生み出した想像の中でだけ、ぼくら――ぼくとぼくの兄弟――は二人だったのだ。(傍線引用者)
これが『悪童日記』を指していることに間違いはありません。やはり、悪童日記の中身は虚であり、大きな帳面の中だけで、「兄弟」は存在したのだったということです。そしておばあちゃんが死に、クラウスは男と出会い国境を超えます。クラウスは国境警備隊に捕まり、
子供が署名した調書には、三つの噓が含まれている。 彼が国境を越えたとき同行していた男は、彼の父親ではなかった。 子供は十八歳ではなく、十五歳だ。 彼の名はクラウスではない。(傍線引用者)
国境を超えたのはクラウスではなくリュカだった!、そして40年振りにクラウス=リュカ(LUCAS)が故国に帰ってきます。クラウスは55歳です。
第一部では「夢」が重要な意味を持っていそうです。夢に現れた兄弟らしき老人は、塔から落ちて死に、「私」は重いガラスの灰皿で兄弟を殴り殺します。リュカを殺すことで兄弟は永遠に一緒にいられる、という説明がなされます。
第一部で語られるのは、国境を超えたのはリュカであり、双子の兄弟は存在しないということです。では、『ふたりの証拠』に登場したリュカとは何者?。 双子の兄弟リュカが存在しない以上、リュカは国境を超えなかったわけで、『ふたりの証拠』のリュカはクラウス自身とということになります。
【第二部】
第二部はクラウス(KLAUSU)の物語です。
クラウスとリュカは首都で生まれます。4歳の時、父親は妊った愛人のために妻と息子たちを捨てます。逆上した母親は夫を拳銃で殺害し、その際、跳ね返った弾丸がリュカの脊髄を傷つけます。父親は死に、母親は逮捕され、身体が不自由となったリュカはS市の病院(リハビリセンター)に入り、クラウスは、孤児院を経て父親の愛人アントニアに引き取られS市で暮らします。その後アントニアの故郷であるK市で、アントニアが産んだ妹サラ(クラウスの父親の子)と彼女の両親と暮らします。S市は空襲を受け、リュカは行方不明となります。
7年後(12歳頃)、クラウスは、アントニア、サラと首都に戻り、かつて住んでいた家を発見し、釈放された(と同時に精神を病んだ)母親と同居を始めます。14歳でクラウスは学校を辞め、3年間配達係をやった新聞社の植字工の見習いとなり、17歳で植字工となります。
夜更けに新聞の頁を活字に組み終えると、私は、自分自身のテクストを組み、印刷する。そんなテクストに、私は「クラウス・リュカ」と署名する。死亡した、あるいは行方不明になった兄弟の思い出をこめた筆名だ。(傍線引用者)
この私家版詩集を読んだ上司によって、クラウスは詩人として世にでることになります。45歳で出版社の印刷所に移り主任となります。
この間に、クラウスとリュカの再会があります。リュカは、外国から故国に帰り、クラウスを訪ねます。クラウスとリュカは、50年振りに対面します。ところが、クラウスはリュカという兄弟の存在を認めません。訪ねてきたリュカに、リュカも母親も亡くなったと偽り、自分にはリュカと云う兄弟はいないのだと追い返します。
あれは確かに彼だ。 このことを確信するのに、私にはどんな証拠もいらない。私は知っているのだから。知っていたのだから。彼が死んではいないことを、いつか帰ってくることを、私は初めから知っていたのだから。
行方不明になった兄弟の思い出のために「クラウス・リュカ」という筆名を持つ詩人は、リュカを兄弟だとは認めません。分かちがたい存在であった双子の兄弟、クラウスはリュカを拒絶したのです。その理由は十分には説明されていません。
私は、その「リュカ、私の息子!」を(母親の声を)聞きたくない。今となっては聞きたくない。そんなこと、あまりに虫がよすぎるというものだ。
同居するようになって、クラウスは、母親がリュカの帰りを待っていること、自分よりリュカを愛していることを知りますが、リュカを拒絶する要因が嫉妬ということには納得できません。
リュカは、自分の書いた原稿をクラウスに渡し、去ってゆきます。
彼は私に、自分の未完成の原稿を残していった。目下私は、その原稿を完成させつつある。
リュカが存在しない以上このふたりの出会は、クラウスの心に宿った現象です。クラウスは、55歳になってリュカという存在と真正面から対面し、それを否定したことになります。そして「未完成の原稿」とは、クラウスが書き継いできた大きな帳面に書かれたものです。双子の呪縛から解き放たれたクラウスは、『悪童日記』『ふたりの証拠』に続き、『第三の嘘』を完成させます。
クラウス(CLAUS)・Tが、今日自殺しました。十四時十五分、東駅で、列車の走ってくる線路に飛びこんだのです。
男は私に、一枚の封筒を差し出す。表書きに「クラウス(KLAUS)・Tへ」とある。(傍線引用者)
父の墓の傍らに、新しい墓穴が掘られている。そこに、私の兄弟の柩が降ろされる。私の名前を異なる綴りで記した十字架が立てられる。
私は毎日、墓地に戻ってくる。クラウス(CLAUS)という名前の記された十字架を見る。そして、リュカの名前を記した別の十字架と取り替えなければと思う。 私はまた、私たち四人が改めていっしょになれる日も近いなと思う。これで母が死んでしまえば、そのときには、私がこんなことを続けていく理由はすべてなくなってしまう。
物語の終了です。
【クラウスとリュカは存在したのか?】
第二部のKLAUSの語ることを真実とすれば、CLAUS=リュカは存在したことになります。そうなると、第一部でCLAUSが語った、兄弟という存在は孤独を癒やす「嘘」だということと矛盾をおこします。この矛盾を解決する唯一の考えは、クラウス=リュカの二重人格説です。リュカは存在せず、クラウスという人格が、時にリュカという人格に支配される話だと理解すれば何とか説明が付きます。クラウスがリュカという妄想を埋葬であり、埋葬することでクラウスはクラウスとしての自分を取り戻したのです。
この三部作は、「書く」という行為についての物語なのだと思います。第一部で、書店の女主人がクラウスに問います、
何をお書きになっているんですの?」
「私が何を書いているかなんて、どうでもいいことですよ」 彼女はかさねて言う。 「私、事実を書いていらっしゃるのか、それとも作り話を書いていらっしゃるのか、そこのところを知りたいんです」
私は彼女に、自分が書こうとしているのはほんとうにあった話だ、しかしそんな話はあるところまで進むと、事実であるだけに耐えがたくなってしまう、そこで自分は話に変更を加えざるを得ないのだ、と答える。
と言っています。クラウス=リュカは、「大きな帳面」に「嘘」を書き続けることによって、アイデンティティーを保って来たのではないかと思います。それはそのまま『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』を書く作家の姿です。ナチスとソ連による支配とハンガリー動乱を経験した祖国を亡命した作家の存在証明なのかも知れません。
もう一度三部作を読み直してみます。