<最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。(15節)> 弟子のひとりステファノは、恵みと力に満ち民衆に癒しと恵みの言葉を与えていた。それを見てある者たちがステファノに異をとなえたが、自分たちの主張が通らないことを知ると「私たちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉をはくのを聞いた」と人々を唆した。 彼らの出身地キレネは現在のリビア、アレクサンドロスはエジプト北部の町。彼らは「解放された奴隷の会堂」に属する人々で、ローマ帝国のエルサレム占領直後(BC63年)連行され奴隷となった人々の子孫で、解放されてエルサレムに戻って来ていた人々。 彼らは民衆、長老たち、律法学者を扇動してステファノを襲って捕らえ最高法院に引いて行った。そして「ステファノが聖なる神殿と律法をけなし『ナザレ人イエスはこの神殿を破壊し、モーセが我々に与えた慣習を変えるだろう』と言った」と偽証人を立てた。 少し脱線するが「解放された奴隷の会堂」に属する人々の気持ちがわからないでもない。ユダヤ人がさげすんできた異邦人たちの奴隷として仕えなければならない屈辱の中におかれ、彼らの誇りとするものは唯一の主であり、主への服従としての律法であり、それらは遠い地にあっても脈々と継承されてきた。 遠く神殿を夢見てエルサレムに帰還できなかった父祖の地に100年近くを経て帰って来た人々に、ステファノが説く主イエスの御言葉は受け入れがたいことだったのかもしれない。彼らはエルサレムに長く住んでいるユダヤ人よりもユダヤ人だったのかもしれない。 しかし、彼らの怒りの渦の中「ステファノの顔は天使のように輝いていた。」 松浦牧師は「夜と霧」で著者フランクルが、ユダヤ人収容所で「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由であることを知った」と記していると紹介される。 ステファノの輝きは「神による自由」、たとえ明日命が奪われようとも、自分が福音に生きる者であることを世に宣言し、告白することの出来る自由、その喜びが彼に溢れていた。 後世に自分の名を遺すための安易な殉教ではない。
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