7点
成田にあるタイ寺院には、タイ人が集い、西葛飾にヒンドゥー教寺院は、
日本でありながら、インドにいるような雰囲気に。
沖縄県日系ブラジル人は、鶴見でコミュニティを作り、ロシア正教会では、昔ながらの祈りが捧げられ、
中華学校では、お弁当は必ず温める。
日本に移り住んできた人々のコミュニテイは、各国の文化を色濃く残し、
日本でありながら、異国の様相を示している。
タイトルは、「移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活」であるが、
彼らの食生活を通して、彼らの日本での生活や文化を紹介しているルポで、
食生活については、表面的で、それほど詳しく語られていない。
というか、著者が食について語れるほど、食に対する知識が無いって感じがした(^^;)。
キムチの「熟成の度合いで味の変化を楽しむ」要素を、日本には無い文化と評したり
(日本だって、自分で漬物を漬けている人は、同じ事を体感している)、
他でも、著者の食に対する知識の浅さが見える表現がちらほら。
でも、国によって違う人々の考え方、日本での独自の生活などが、紹介されていて面白く読めた。
特に印象的だったのは、インド人の話。
日本にあるヒンドゥー教の寺院は、ヒンドゥーはヒンドゥー系でも、
新興宗教「ハレークリシュナ」のものばかり。
それが「ヒンドゥー教寺院」を名乗っている。
日本で言えば、天理教などが「仏教寺院」を名乗っているようなものと、著者は言う。
日本人なら、これは「仏教ではない」と行かないだろうが、インド人は気にしない。
それについてあるインド人に「インド人は寛容だ」と伝えると、
「インド人は『寛容』なのではなく、『排他的ではない』だけ」と答えたという。
「寛容」は「相手が間違っていても許す」態度、
「排他的ではない」は、「いろんな考え方があって、どれが正しいとか間違っているの
ではなく、どれも正しいことを理解する事だ」とのこと。
以前、別の本でインドのことを読んだ時、高貴だと崇められるグルが金儲けに奔走するという、
日本人なら相反すると感じることをインド人が認めていて、不思議だったんだけど、
この辺の考え方から来るんじゃないかと思った。
でも、インドでは、相変わらず親族殺人(娘がカーストの違う男性と恋愛した事により、
家族に殺害される等)も田舎では多いらしく、これですんなりインド人の事がわかったわけでも
ないんだけど。
以前「だれも知らなかったインド人の秘密」(リンク先感想)を読んだ時思った、
インド人の不可思議さの答えの一つが、この本でわかった気がした。
他にもロシア正教会の事や、ムスリムに寿司好きが多い事など、いろいろ興味深い記述が。
日本のあちこちで、いろいろな外国人コミュニテイが形成されているということ、
身近に自分の知らない世界が作られていることを実感できる本で、面白く読めました。
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