<一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカルノ、ティモン、バルメナ、アンティオキア出身のニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。(5.6節)> 聖霊が与えられた弟子たちは「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と大胆に主を証しした。それを聞くすべての人に恐れが生じ、主を信じた人々はみな一つになってすべての物を共有し、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った。 4章では「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足元に置き、その金は必要に応じて、各々に分配された」と記している。群れとして歩む、今に至る教会の原型がここに始まる。 しかし、その分配が公平さを欠くという苦情がギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト)から、ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライ人)に対して出た。 注解書によると「アレクサンドロス大王(BC356~323)が近東を征服した時、ギリシャの言語と文化が古代世界に広まり、ギリシャ語は世界共通語となった。パレスチナとシリアで話されるヘブライ語はユダヤ人の日常語である。ギリシャ語で話すユダヤ人は外国居留地出身で、ヘブライ語を話すユダヤ人はパレスチナ出身である。」とあった。 経済的自立が出来ないでいた人々は、配給の段階でヘブライ人よりも不公平な扱いを受けていた。ここで「食事」と訳されるギリシャ語は「銀行」も意味する。12人の弟子たちは、その苦情をきき、大勢になった弟子たちから7人を選び、食料や金銭管理にあたらせた。 選ばれた7人は全員がヘレニストであった。「はっきり言ってこれは不公平のように思えます。しかし聖書は弱者の論理に立つことをここで明確に宣言しているのです。・・・社会的弱者を愛したキリストの愛を行う時、教会はますます本来的な姿となって行くことを聖書は伝えるのです」と6月の家庭礼拝歴担当出雲今市教会、松浦治牧師は結ばれる。 5月28.29日、沖縄で「日本キリスト教会全国連合婦人会修養会」が行われた。講演と二人の方の証、翌朝の礼拝説教と沖縄の苦しみが伝わり、聞く者にも大きな課題が与えられた修養会であった。 神が与えて下さる「平和」とは、神が指し示される「弱者」とは、と自分なりに思考した。
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