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 会社を出ると、通りはいつものように人で溢れている。時間の無い世界なのに、やたら急いで歩いている人や、待ち合わせ場所で、苛立った表情で辺りを見廻ししている人を見かけた。ここの世界に慣れない人たちで、ここもフェイズバンクの一つかも知れないって気がする。私の頭の中の、もやもやした霧が少しずつ晴れていくような気がする。何かが目の前にあって、私に何かを伝えようとしているに違いない。そう思うと、どこかに急がなくてはいけないような気がしてくる。
 足は自然にあのフェイズバンクに向かっている。あそこなら元の世界に戻れるかも知れない。
 歩道から中を覗くと、窓口にはちぐはぐな制服を着た、あの初老の男が座っている。居眠りでもしているのか、ずっと下を向いたままだ。
「あの、先日体験で利用した者ですけど、今度は体験じゃなく利用したいのですが」
 そう言うと、男はゆっくり顔を上げて頷いた。
「で、どちらに行かれますか?」
 と眠そうな目をして言った。
「私の元の世界です」
「元の世界と言われましても、色々ございます。ご自分のランクはおわかりになりますか?」
「ラ、ランクって?」
「お忘れですか? ランクというのは、あなたの経験レベルです。このランクによってはご希望に添えない場合もございます。よくある例と致しましては、自殺などが原因でここに見えた方が、もう一度元の世界でやり直したいとよく仰いますが、それは丁寧にお話をしてお断りしております。思い出されましたら、この用紙に必要事項とランクをご記入下さい」
 男はそう言って、小さな紙片を差し出した。必要事項と言っても、名前と生年月日の欄があるだけで、ランクのところも同じような空欄になっているだけだ。名前と生年月日はすぐに書けたが、ランクはどう考えてもわからないし、何も思い出さない。仕方が無いので、適当に思いついた言葉を記入して差し出した。
「ランクは………人並み、ですか?」
 男はしばらく紙片を睨んでいたが、しばらくお待ち下さいと言って席を立った。何か審査でもあるのだろうか。腰掛ける椅子も無く、部屋の中を眺めると、幾つかのポスターのようなものが貼ってある。この前来た時もあったのだろうか、まるで気がつかなかった。一枚目のポスターには、〈過酷な体験で一気にランクアップ〉と、大きな赤い字で書いてあり、その下には、奴隷らしき写真がある。足には重そうな鉄球が鎖で繋がり、身体の二倍はありそうな荷物を背負って苦しげな顔で歩いている。そしてその隣のポスターには、〈特別ランクご優待〉と、同じような大きな赤い字で書いてあり、その下にはどこかの貴族のような写真がある。対照的な二枚の写真を見比べていると、
「ランクアップはいつでも可能です。いかがですか?」
 と、先ほどの男が席に戻り声をかけてきた。この私に奴隷になれって言うのかしら、ランクアップがどれほどいいことなのかわからないけど、絶対にランクアップなんかしない。
聞こえない振りをしていると、少し大きな声で私の名前を呼んだ。カウンターに行くと、男は書類を指さしながら、私の名前をもう一度確認して、
「松浦一美様はすでにご利用済になっています」
 と、困ったような顔で言った。
「利用済って、どういうこと?」
「ですから、松浦一美様はあちらに出発されています」
「そんなの嘘よ、松浦一美は私よ。そっちのミスだわ、どうしてくれるの?」
 と、男を睨み付けながら言った。
「私は今まで一度たりとも間違ったことはございません。何か特別な事情はございませんか、例えばそうですね、同じ性別、同じ生年月日の人と、同じ時刻、同じ場所で亡くなったとか。通常では考えられないケースですが、そのような場合には混乱する場合がございます」
「失礼ね、確かに死にそうだけど、まだ死んじゃいないわ。そう、そうだわ、私には薫って姉がいるの、ここに来てからずっと一緒だったわ。ねぇ、薫を調べて頂戴。一卵性双生児で、しかも結合双生児よ」
 私は、顔を突き出すようにして言った。男は私の顔をしばらく見つめていたが、何も思い出さないようだ。一卵性なのに顔は似ていないなんて、まるで嘘を言ってるみたいじゃない。でも、薫が勝手に行ったのは間違いないわ。
「承知致しました。しばらくお待ち下さい」
 男はそう言って、また奥に消えた。薫が私に黙って行くなんて酷いわ、どういうことかしら。でも、薫が元の世界に戻れるってことは、私はまだ死んでいないはずね、きっとそうだわ。
 特別ランクのポスター写真の女が微笑んでいる。どうせ行くならご優待がいいわ、きっと恵まれた人生を味わえるに違いない。気持ちが少し揺れ動く。それに比べたら、元の世界が貧弱に思えてくる。安月給に甘んじて真面目に働いても、ご優待の人生とは比較にならないほど幸せは薄そうに思える。それほど美人でもないから、自分から積極的にアプローチしないと幸せな結婚なんてできそうも無い。それに、手の届きそうな男だってたかが知れている。富豪と結婚なんて夢のまた夢だ。人生が選べるならお金持ちの方がいいに決まっている。体験するなら、奴隷なんかじゃなくて、大富豪の恋人を体験すれば良かった。
「お待たせ致しました。元の世界にお戻り頂けます」
 男が奥から出て来て言った。
「大丈夫なのね」
 念を押すように訊いた。
「はい、元の世界にお戻りできますが、松浦一美様のお体はお一つで、現在は薫様がご利用中です。お戻りになって、お二人でご相談下さい。現在ご利用中の方が優先されますので、場合によっては、お客様が、身体を持たないでお過ごしになることもございます」
 男はそう言うと、奥の部屋に進むように促した。
「ご相談って、どうすればいいの?」
「それはですね、お一人様が、肉体からお出になるか、別の身体を見つけて頂くしか方法はございません。一つの肉体にお一人様というのが原則でございます。ただし、今は昏睡状態ですので、場合によっては共有して頂くことが可能かと思われます。その間にごゆっくりご相談下さい。さぁ、どうぞ」
 男はそう言って部屋の扉を開けた。これ以上私と関わりたくないようだ。とにかく、戻ってから、男の言うように薫と相談するしか方法は無いようだ。


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