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2:高村薫講演会「近代の終わりを生きる」

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「近代の終わりを生きる」 高村薫  2013年 3月23日(土) 第295回オムロン文化フォーラム講演から それがここ2,3年の間に少し変わってきているのを感じます。有り体に申せば、窓の外の風景の基調がすこしづつ変わってきてるように私には見えるのであります。高度成長期から90年代初めまでの間にたっぷりと蓄えられてきた繁栄のストック、これが失われた20年の間に少しづつ食い潰されてきて、それでたとえば、ひと昔前なら考えられない笹子トンネルの崩落事故のようなことが起きる。なにかヘンだと思います。「日本はこんなにオソマツな国だったっけ」、そう思うそんなことが増えてきていると思うのであります。で、これをひと言で言えば、「繁栄の終わり、もしくは繁栄の終わりの始まり」と呼ぶことができると思いますけども、私たちが今、列車の窓の外に見ているこの風景はいったいどこから始まったのでしょうか。言い代えれば反映はどこでピークアウトして、そこではどんなことが起きていたのでしょうか。これも私などが改めて申し上げることでもないんですけども、今がどういう時代であるのかを明確にするために、簡単に整理をさせてください。 まず変化の大元が、日本の国力の低下にあることについては異論がナイと思います。平成24年版の経済白書を見ますと、95年以降アメリカや中国、韓国、それにアジア諸国はGDPが堅調に右肩上がりで伸びつづけております。その一方、日本だけが完全に横ばいになっていて、日本の経済規模の縮小と停滞は一目瞭然であります。90年代後半に広がった経済のグローバル化は、たとえば安価な労働力とより大きな市場を求めて生産拠点を中国など海外に移す、そういう企業の動きを本格化させました。その結果、中国やアジアが急速に発展をして、相対的に日本が縮んでいるわけですが、それだけではありません。国力低下の一番の大きな原因は、80年代以降、自民党の長期政権下で慢性的に政治の停滞があって、そして、動きの速い時代に合わせて産業の構造改革と規制緩和を進めることができなかった。これが日本の産業の力を弱め、結果的に国力の低下を招いた一番の大きな原因だと思います。さらに少子高齢化によって労働力人口が90年代半ばに頭打ちになったわけですが、特に製造業において、ひとりひとりの労働生産性が落ちてきていることが、それ以上に深刻であります。生産性というのは、いわゆる付加価値でありますから、日本の物づくりは、生産効率ですとか、労働者の質ですとか、あるいは技術革新といった面でも遅れ始めているということになります。 もちろんリーマンショック以降は、円高という要因もありましたけども、これも政治の停滞で、効果的な通貨政策が取られなかった面があることは否定できません、けれども、たとえば経営危機に陥ったシャープが韓国のサムスンから増資を受けたり、ソニーやパナソニックがサムスンの後塵を拝するという今日の状況は、単に円高だけが原因だったのではありません。80年代以降の政治の停滞と既得権益に固執して規制緩和に消極的だった官僚制度と、そして、成功にアグラをかいて時代を読み違えた日本企業の経営のマズサの三つがまずあって、そこにアジアの発展や金融危機や通貨政策の敗北などが重なったということであります。つまりグローバル世界ではあっても、問題はまず私たち日本人にアルということであります。 で、もう一つ、資源を輸入に頼る日本では資源価格の高騰や輸入量の増加による貿易収支の赤字が恒常化しておりまして、所得収支の黒字を食い潰すカタチでの経常収支の財政赤字が続いております。これは当面仕方のないことではありますけども、たとえば、経常収支のなかの財政部門の財政赤字については看過できないレベルになっていることは皆さんもご存知のとおりであります。私たちがどんなにお金を稼いでも、それを国が食い潰すことになりますと、やがて国際収支にも響いてきて、国家財政の破綻につながってまいります。まだそこまでは行っておりませんけども、財政規律がこんな風にないがしろになっている現状も確実に日本の国力低下につながっていくわけで、これもまずは私たち日本人の問題であります。 そこで、この国力の低下は、国内と国外の両方に影響をしてきます。まず国内では、貧困層の拡大という形で現れております。労働者に占める非正規雇用の割合、年収200万円以下の所得層の割合、それから修学援助の児童数、生活保護受給者の数、などが増加の一途となっているそういう状況は、私たち生活者の身にも、日々、風景の変化として見えるものであります。身近な例を一つあげますと、ユニクロがあります。ユニクロの登場は90年代後半ですけども、2000年代はじめまでは、とにかく安いというイメージでありました。それがユニクロ自体のブランド戦略のおかげで、今では銀座や百貨店に進出しているんですが、Tシャツが1枚千円であるというのも、またそれをアタリマエのように着るというのも、相対的に私たちの「家計が縮んだ」ということ以外のなにものでもないと思います。で、私もふだんユニクロのTシャツを着ておりますけども、なにしろ古い世代ですので、そこそこの品質のTシャツが千円であることの感動よりも、これでいいんだろうか、という戸惑いの方が未だ大きいというのが事実です。ともあれ、ユニクロの成功は一にも二にも新しい価値観を作り出した点にあるわけですけれども、日本の所得水準の低下と歩調を合わせて成長してきた人気ブランドだということであります。 さて、その日本の国力の低下を国外から見てみますと、そのまま世界の中での相対的な地位の低下となります。これまでも日本が国力に見合った存在感を発揮できてこなかったのは、ひとえに政治の停滞と、それに加えて戦後長きにわたって私たち日本人が日米同盟に安住してきた結果、思考停止に陥ってきたことが大きいわけですが、それが今、国力の低下と共に存在感のナサといったレベルではない、文字通りの地位の低下、重要性の低下へと変わってきております。ここへ来て中国や韓国がさまざまに歴史認識を蒸し返したり、尖閣諸島や竹島の領有権問題を政治利用したりするようになったのもそのことが大きいのは否定できません。国民性がチガウとはいえ、私たち日本人の感覚では理解できない反日感情のすさまじさに私などは時々どうしていいのかわからない困惑の方が先に立ちます。 で、私の感じる困惑は、21世紀になってここまで日本人が近隣諸国から憎まれ、あるいは国家として蔑まれていることへの困惑と隣人たちにここまで憎悪をむき出しにされるほど日本の経済力と重要性が小さくなったことへの困惑のふたつであります。もちろん冷静に眺めれば、中国や韓国が思っているほど日本は小さくなっているわけではありませんし、中国や韓国の一部の反日運動は決して褒められたものでもないわけですが、ともかく日本がかつて世界第二位のGDPを誇る経済大国だった時代には絶対に起こらなかったであろう力関係の変化、これの光景を私たちは今見ているのであります。 で、さて、そこで私は、この現在の光景を「繁栄の終り」を見ているというふうに認識しているわけであります。で、「繁栄の終り」と言いますのは、世界経済の基軸の変化、さらには国内産業の構造的な要因によってもたらされている一般的な景気循環の中の不況というよりは、一つの国家の繁栄の時代の終わりというもう少し大きなククリの話であります。イメージとしては、たとえば大航海時代に反映したスペインやポルトガルの現在、あるいは19世紀の大英帝国の現在といった感じだと思います。で、実は、日本だけではなくてEUの先進国も皆、低成長時代を迎えているんですけども、日本ほどの少子高齢化ではないことと、女性の社会進出が進んでいることと、あと二度の世界大戦を乗り越えた強固な民主主義の価値観が共有されていること、そして、社会インフラを更新して維持していける程度の経済成長は維持できている、これらの点で日本よりは安定しているか、もしくは衰退のスピードは日本よりはるかに緩(ゆる)やかではないかというふうに思えます。
高村薫・藤原健 作家と新聞記者の対話

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  • 作者: 高村 薫
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2010/01/29
  • メディア: 単行本
作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)

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  • 作者: 高村 薫
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/10/10
  • メディア: 文庫

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