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風に舞う女王様 Ⅲ

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「きゃっ」  バスを降りると、いきなり突風に襲われた。  地元の人間が“旧道”と呼んでいるバス通りには、それなりに建物が並んで建っていて、それなりに風を遮ってくれる。  旧道を一歩外れると、そこは延々と田んぼが広がる田舎の風景。風を防いでくれるような建物は、さほど大きくもない民家がぽつんぽつんと点在するだけ。 「風、強いね……」  吾領が困った顔で、髪とスカートを押さえている。  スカートが体にぴったりとくっついて、脚の形がくっきり見えた。あまりじろじろ見るのはまずいだろう。 「だな。とっとと帰ろうぜ」  俺はそう答えて、足を速めようとした。と、また携帯が振動を始めた。今度は通話だ。 「またかよ。しつっけーな」  吾領の前で悪態をついてしまった。力任せに携帯を開いて、思いっきり叫んだ。 「いーかげんにしろクソ女。ケツに蹴り入れるぞ」 「……」  視界の隅で、吾領が表情を歪めたのがちらっと見えた。俺は吾領に背中を向けて、怒りの形相を見られないようにした。 『あ、ひょっとして怒ってる?』 「あたりめーだろ。何なんだよ、さっきからしつけーぞ。嫌がらせかよ」 『ん~……そっか。そうだね。お姉ちゃん、今日はちょっとからみ過ぎだね』 「……は?」  思わず耳を疑った。姉貴がこんなに素直に、反省を口にするなんて。少なくとも、ここ二,三年はこんなことなかった。 『ごめんね八雲。怒んないで』 「……本気で反省してんのか? マジか?」 『マジマジ。お姉ちゃんマジで反省してます』 「嘘くせーな」 『本当だって。お姉ちゃん、今年度最も反省しました。そりゃもう海よりも深く、山よりも高く』 「やっぱ反省してねーだろ」  高く反省してどーすんだ。この女、やっぱり信用できない。 『でね。この私の深くて広い反省を示すためにも』 「あ?」 『そこに自販機あるでしょ?』  見ると、ちょうど自販機の横を通り過ぎるところだった。  田んぼに挟まれた道の途中、いきなりぽつんと立っている自販機。――改めて見ると、この自販機の存在もオカルトっぽいよな。 『コーラ買ってきて。おごってあげる』 「いらねーよ。どうせ俺が金立て替えるんだろ」 『ちゃんと払うから。お姉ちゃんもコーラ飲みたいし。ね、ついでに買ってきてよ』 「……しょーがねえな。わかったよ」  自販機の前まで少し戻る。吾領が首をかしげて、何か聞きたそうな顔で俺を見る。 『ありがと~! お姉ちゃん嬉しい♪』 「気色悪い猫なで声を出すな。コーラでいいんだな?」 『うん。普通のコーラね、白いのとか軽いのとかじゃなく』 「ああ、わかった」 『十本』 「はぁ!?」 『500ミリのを、十本。ちょっと重いだろうけど、頑張ってね♪ じゃ』  ぷつん。通話が切れた。 「……」  毎度のことだが、姉貴が何を考えてるか、俺にはさっぱりわからん。 「コーラ買うの?」  吾領が尋ねた。会話が断片的に聞こえてたんだろう。 「ああ。買ってこいってさ。十本」 「そんなに? お姉さん、コーラ好きなんだね」 「……ん?」  よく考えると、姉貴がコーラ飲んでるとこなんて見たことがない。家ではいつも、麦茶か烏龍茶だ。 「あいつは前から変だったけど、今日は特別に変だな。まあいい、買ってってやるか」  自販機に金を注ぎこんだ。  500ミリのコーラ十本。ほとんど空だったカバンが、ずっしり重くなった。 「うふふっ」  いきなり吾領が笑い出した。 「? 何だよ」 「ううん、ちょっと」  風で暴れる髪とスカートを、懸命に手で押さえつけながら、吾領が言った。 「八雲くん、お姉さんと仲いいよね」 「……」  俺はどう答えていいかわからなかった。 「ねえ、八雲くん」  自販機を離れて小径を曲がったところで、吾領が言った。 「ん?」  小径は百メートルほど続いて、突き当たりがT字路になっている。そのT字路の向こうに見える、高い塀に囲まれた広大な敷地が、吾領の屋敷。  で、小径の右側に並ぶちっぽけな建て売り住宅の奥から二軒目が、俺の家だ。  改めて考えると、ギャップの激しさにめまいがしてくる。吾領家の一人娘と俺が並んで歩いてるなんて、現実とは思えない。 「私、八雲くんにお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」 「聞いてくれる、って聞かれても、聞いてみるまでわからん。何だよ?」 「“玲奈”って呼んでほしいの」 「そでぁ」また意味不明な音声を発してしまった。 「私は八雲くんのこと“八雲くん”って呼ぶでしょ。私だけ名字で呼ばれるの、バランスが悪いと思うんだ」 「いや、それは……。って言うか、お前が俺のこと“神縁”って呼べばいいだろ」 「でも、それだとお姉さんとかぶっちゃう」 「う……」  普通に“神縁くん”と“神縁先生”で使い分ければいいと思うんだが。いや、むしろ、あいつのことは“バカ”とか“ダメ人間”とか呼んでやればいい。 「ねえ八雲くん。お願い」  まったく、吾領との会話は本当に疲れる。  どう答えたもんか、俺が迷っていると――。  ごううううっ。  今日一番すさまじい風が、横殴りに吹いた。 「きゃっ!」「うおっ!?」  吾領が悲鳴をあげる。俺はその吾領に倒れかかりそうになるのを、どうにかバランスをとって避けた。  そして、その瞬間。俺の目がヤバいものを捉えていた。  小径の先、横並びの建て売り住宅。  そのうちの一軒の屋根から、瓦が五,六枚、ふわっと浮き上がって、斜め下の地面に落下した。  ごすごすごすっ。あまり聞き慣れない衝撃音が、アスファルトを通して足元から響いた。 「……」 「……」  言葉もなく顔を見合わせる、俺と吾領。 「……見た?」  表情を凍りつかせた吾領が、震え声で尋ねる。 「……ああ、見た。ヤバかった」  答える俺の声も、たぶん震えていたと思う。 「瓦って、風で飛ぶんだな。知らなかった」 「ねえ、あれって八雲くんのお家?」 「いや、その手前。間久部さんの家だ」  あたりを見回す。瓦が飛んだのは間久部さんの家だけらしく、周囲に瓦が散乱した様子はない。が。 「ヤバいな。気をつけよう。って言うか、早く帰ろう」 「うん。私もそれがいいと思う」  俺たちは、できるだけ建物から離れて、道の左側を通って歩くことにした。  風がピークに達するたびに、俺と吾領はビクつき、身構えてしまった。どれだけ警戒したところで、いきなり瓦が飛んできたら、たぶん反応できないだろう。けど、何もしないよりはマシだ。 「……すごいね。こんなのが飛ばされちゃうなんて」  砕けた瓦のところまで来ると、吾領が感心と恐怖の入り交じった声でつぶやいた。  間久部さん夫婦は共働きで、この時間は誰もいないはずだ。帰ったら驚くだろうな。 「すこしタイミングがずれてたら、私たち、瓦に襲われてたかもしれないね」 「だな。……なあ、俺、家の前まで送ってってやるよ」 「うん。ありがとう」  送るといっても、ほんの数十メートル。そのわずかな距離が、俺にはとんでもないサバイバルに感じられた。いろんな意味で。 「やっぱり優しいね、八雲くん」 「うるせー」  今度はさすがに意識して、吾領の風よけになるよう、風上の位置をキープして歩いた。  ――いや、だって、あんなこと言われたら、そうしなきゃいけない気分になるだろ。 (続く)


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