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風に舞う女王様 Ⅱ

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『黒斗センター行き、ただいま悪天候のためにダイヤが乱れております。強風の際には安全のため徐行運転を行いますので、ご了承ください』  俺たちが乗ったとたん、バスの運転手がそうアナウンスした。  車内はがら空きで、座席が二つ三つ埋まっているだけだった。このバス停で乗ったのも俺と吾領だけだから、俺たちのためにわざわざ説明してくれたらしい。 「ふぅ」  吾領が小さくため息をついて、髪を整えた。風のない場所に入って落ち着いたんだろう。  ――さて。ここで大きな問題がある。  バスの座席は右側が一人がけ、左側が二人がけになっている。全部が正面向きで、横向きの席はない。最後尾は横一列の五人がけ。乗客は少ないから、席は選び放題。  俺は吾領と二人。さて、どの席に座るべきか。  普通に考えれば二人がけだ。が、吾領は俺と密着して座るのを嫌がるんじゃないだろうか。寄り添うとはいかないまでも、肘と肘とがぶつかる距離で並んで座る。彼氏彼女でもあるまいし、その距離感はどうかと思う。ましてや、相手は吾領家のお嬢様だ。  最後尾の五人がけなら、余裕をもって並んで座れるだろう。が、今は右端でおばちゃんが居眠りしてる。俺たちが横に座ったら、多少の距離はあっても、おばちゃんは気配で目を覚ますかもしれない。  そうなったら、俺と吾領の話を聞かれる可能性がある。いや、べつに聞かれて困るようなことを話す予定はないんだが、なんとなくそれは避けたい。  いっそ一人がけの席で前後に座るほうが無難か。その場合、おそらく俺と吾領との間に会話は成立しないだろう。  それはそれでかまわない。俺は世間話ってものが苦手だ。気まずい会話に耐えるのも、気まずい沈黙に耐えるのも、似たようなもんだろう。  だがこのケースでは、また別の問題が発生する。吾領の前に座るか、後ろに座るか、という問題が。  吾領が前に座った場合、俺は吾領の後ろ姿を間近で眺めることになる。吾領の長い黒髪、いくら見たって見飽きることはないだろうが……そんなストーカーみたいな真似はしたくない。吾領だって、俺に後頭部をじーっと見つめられるのはいい気分じゃないだろう。  俺が前に座った場合は、立場がまったく逆になる。今度は俺が、後頭部に吾領の視線を受け、いつ話しかけられるかという緊張に耐えながら、バスを降りるまでの数十分を過ごさなければならない。  ――俺はバスに乗った最初の0.2秒で、ざっと以上のことを計算した。  どの選択肢を採用しても一長一短。メリットとデメリットを慎重に計り、いざ決断を下そうとした、その時。  吾領がとことこ歩いて、ためらうことなく二人がけの席に座った。呆然としている俺を振り向くと、 「八雲くん、座らないの?」  と、真顔で尋ねる。 「…………………………おう」  俺はあいまいにうなずいて、吾領の隣に座った。  吾領は細身だから、俺が想定したほどには体が密着しなかった。俺と吾領の肘の間に、指三本くらいの隙間がある。  俺はこの隙間に感謝すると同時に、ありったけの念をこめて呪った。  バスはのろのろ走り出した。エアコンが効いてて車内は快適だが、さっきまで熱風にさらされていたせいで、シャツがべとついて気持ち悪い。 「ねえ、八雲くん」 「ん?」 「八雲くんって、優しいよね」 「わどおっ」  動揺のあまり、意味不明の言語を口走ってしまった。  吾領はおだやかな微笑を浮かべて、じっと俺を見てる。冗談を言っているようには見えない。 「……何だよいきなり。なんでだよ。なんでそうなる」 「八雲くん、さっき私をかばってくれたでしょ?」 「いつ。どこで。どうやって」 「さっきバス停で。八雲くん、私に風が当たらないように、風上に立ってくれたじゃない」  まったく身に覚えがなかった。 「そんなん偶然だろ」 「ううん」吾領は首を横に振る。 「わざわざぐるっと回りこんで、私の斜め横に移動したでしょう。あれが偶然だったら、八雲くん、すごい変な人だよ」 「……」  そう言われても、まるっきり記憶にない。たぶん姉貴と携帯で話してる時のことなんだろうけど――脳内で記憶をプレイバックしてみても、そんな光景は見あたらなかった。 「だとしても、やっぱ偶然だろ。俺はそんなこと覚えてない」 「無意識だったの?」 「まあ、そうだな」 「それじゃあ」と、吾領はふわっと笑みを大きくした。 「八雲くんは、無意識のうちに、誰かに優しくできる人なんだね」 「……」  こういう恥ずかしいことを本気で言える神経がよくわからん。  必死に言葉を探していると、携帯が振動した。今度は通話じゃない、メールの着信だ。俺はすかさず携帯を開いた。    件名: お姉ちゃんから重大なお知らせがあります    本文: 弟よ。お昼ご飯が何もありません。        帰りにヨツワに寄って、何か買ってきなさい。        お姉ちゃんはパスタが食べたいです。あとサラダ。        P.S.玲奈ちゃんが一緒なら、あの子の分も一緒にね。            八雲がおごりなさいよ。男ならそれが当然♪ 「お姉さん、なんて?」  説明するのは面倒だ。俺は黙って携帯を見せてやった。 「ヨツワ寄っていくの? 私はそれでもいいよ。お金は出すから」 「寄らねーよ」  ヨツワってのはスーパーの名前だ。俺たちが降りる、ひとつ手前のバス停にある。  時間的に腹が減ってるのは確かだ。普段なら、何か買って帰るのも悪くないんだが――この強風の中、途中下車して歩けって? 冗談ぬかせ。    件名: やなこった    本文: カップ麺か何かあるだろ。        何もないなら米炊いとけ。醤油かけて食う。  俺がそう返信するのを、吾領は不思議そうに見守っていた。 「八雲くん優しいのに、お姉さんにはきついよね」 「いや優しくねーし。あいつはダメ人間だから、少しきびしいくらいがちょうどいいんだ」 「ダメ人間? どうして? 優しくていいお姉さんだと思うけどな」 「こんな天気の日に、病み上がりの吾領をつきあわせて、バス停一個ぶん歩けっつってんだぞ。ろくでもねーよ、あいつは」 「ううーん、そうかなぁ」  納得がいかないらしく、吾領は首をかしげる。  姉貴の話は苦手だ。俺は強引に話題を変えた。 「そういや聞くの忘れてたけど、今日から復学だよな。病気はもういいのか?」 「あ、うん。もうぜんぜん平気」  吾領の顔がぱっと明るくなった。 「お医者様も、もう大丈夫って言ってくれたの。体育はまだ無理だけど、普通の授業には出ていいって。あとは月に二回、検診を受けに来なさいって」  体育は見学、月に二度の検診、か。完全復帰ってわけじゃなさそうだ。 「なら部活なんてやらないで、早く帰った方がいいんじゃないか? うちのオカ研、何もしない日でも、帰り結構遅いぞ。みんな部室でダラダラしてるから」 「ううん。少しくらい遅くなっても平気」  首を横に振ると、長い黒髪がふわっと揺れる。 「それに、ずっと前からやってみたかったの。部活動」 「……そうか」  吾領は小さい頃から体が弱く、病気のせいで休学しまくりだった。俺は小・中と同じ学校で、何度かクラスも一緒になったはずだが、教室で吾領と顔を合わせた記憶はほとんどない。  そもそも学校に来られないんだから、部活なんて無理に決まってる。俺たちにとっては普通の日常でも、吾領には憧れだったんだろう。  ごおおおおっ。バスの外で轟音が響いた。  車体が大きく揺れて、運転手はスピードを落とした。まさか横転はしないと思うが、心の準備くらいはしといた方がいいかもしれない。 「? 八雲くん、どうかした?」 「いや、べつに」  シートと手すりの強度を確かめたのが、吾領には挙動不審に見えたらしい。  風はバスの右から吹いている。風で横転でもすれば、吾領のいる左側が下になる。俺が吾領の上になるわけだ。  華奢な吾領を、俺の体重で押しつぶすことになる。そいつを避けるためにも、手すりの強度は重要だった。いざって時には手すりにしがみついて、俺の全体重を支える覚悟だ。 「にしても、なんでオカ研だよ。他にも部活あるだろ」  これ以上怪しまれないよう、俺はさっきの会話を続けた。 「だって、オカ研には八雲くんがいるから」 「……え」思わず凍りつく。 「知ってる人がいた方が、心強いでしょ。この間のお誕生会で、他のみんなとも知り合いになれたし。それに、みんなすごくいい人だし」  吾領の笑顔には屈託がない。自分がどんな際どい発言をしているか、まったく自覚していないらしい。 「……」  こいつとの会話は心臓に悪い。部活と通学バスで毎日顔を合わせるとか、俺に耐えられるんだろうか。 「オカルトは平気なのか? 暮士田先輩みたいに、オカルトは興味あるけど実際に体験するのは怖いって人もいるぞ」 「うーん……」  俺が尋ねると、吾領はかすかに眉をしかめて考えこんだ。 「私、オカルトとか超常現象って、よくわからないの」 「……それでよくオカ研に入る気になったな」 「正確に言うとね。何が普通で、何が不思議なことなのか。私、その違いがよくわからないんだ」 「ん? なんだそりゃ。意味わからんぞ」 「えーっとね、例えば――」  首をかしげて、人差し指の先で顎を支える。 「例えばね。うちの倉で怪獣が工事してたんだけど、それって不思議なこと?」 「……何だって?」 「子供の頃、六歳か七歳だったかな。その日は気分がよくって、庭でなら遊んでもいいってお医者様に言われたの。倉の扉が開いてたから、中に入ってみたら、いつの間にか閉じこめられちゃって」  あの家、倉なんてあるのか。外からじゃ塀で見えないもんな。「で?」 「怖くなって泣いてたら、奥の暗がりから大きな物音がしたの。がががーって、雷の音みたいな。行ってみたら、そこに怪獣の人形があって。プラスチックか何かでできた、三十センチくらいの、四本足の怪獣。頭にドリルがついてた」  吾領は両手で間隔を作って、人形の大きさを示した。その大きさだと四,五十センチはありそうだが。 「怪獣は頭のドリルを器用に使って、床に穴を掘ってたの。首をぐーっと曲げて、すごく苦しそうな体勢だったけど、がんばって掘ってた」 「ああ、確かに地面掘るのは大変そうだな。んで?」 「私が泣きながら怪獣に事情を話したら、怪獣は倉の壁にドリルで穴をあけてくれたの。それで私、外に出られたんだ」 「……へえ」 「次の日に行ってみたら、壁の穴はふさがってて。だから私、きっとドリルの怪獣だけじゃなくって、他にもセメントを練る怪獣とか、壁にペンキを塗る怪獣とかがたくさんいて、倉の中で工事してたんだな――って、そう思ったの」  夏夜乃先輩が喜びそうな話だ。 「その後は倉に入る機会もなくって、その怪獣ともそれきりなんだけど……。ね、これって不思議なこと? 人形に魂が宿るって、よく本に出てくるよね。人間の形してなくても、そういうことってあるのかな?」 「どうだろうな。今の話だけじゃよくわからん」  子供の想像力、夢と現実の混同、記憶の美化。それで説明がつきそうだ。たぶん、幼い吾領が心細さのあまりに作った、友人兼救世主の幻なんだろう。  が――そう簡単に結論づけることはできない。俺はそのことをよく知ってる。 (けど、倉の怪獣が動いて『不思議じゃない』って考えるのは、どうなんだ?)  吾領は入院生活が長くて、まともに学校に通っていない。  一般常識というものに、すこし欠けているのかも知れない。 「ん」また携帯が振動をはじめた。    件名: お姉様より緊急指令    本文: お姉様はヴェローナのモンブランをご所望である。        これは命令である。弟に拒否権はない。        くりかえす。これは命令である。拒否権はない。 「……あのやろー」    件名: 猫のカリカリでも食ってろ    本文: 貴様にはそれがお似合いだ。 「今日はやけにからんでくるな。何なんだ、あいつ」 「お姉さん、寂しいんじゃない?」 「はあ?」 「具合が悪くて休んでるなら、きっと寂しいんじゃないかな。誰かとつながっていたいんだよ、きっと」 「……」  病気がちの吾領の言うことだ。その言葉には重みがあったし、信憑性は抜群だった。  が――いかんせん、あいつは病気ではない。  いや、まあ、ある意味病気かもしれないけど。 『次は黒斗郵便局、黒斗郵便局。お降りの方はブザーでお知らせください』  録音された車内アナウンスが、俺たちの降りるバス停の名を告げた。  ヴェローナってケーキ屋があるのは、そのひとつ先のバス停。 「モンブラン、買いに行くの?」 「行くわけねーだろ」  俺はためらわずに降車ボタンを押した。 (続く)


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