『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』 ロバート・C・アレン 2012/12
著者は経済史学者。オクスフォード大経済学部教授。 豊かな国と貧しい国に分かれた歴史的な転換点を考える本。
1500年頃は国々の繁栄の差は小さなものだった。1500~1800年頃までの重商主義・大航海の時代、ヨーロッパが発展の先頭に立った。19世紀には産業革命でイギリスが先頭に立つ。この時代の標準的な4つの政策は、①内国関税の廃止 ②対外関税の設定 ③銀行の設立 ④大衆教育 である。
西ヨーロッパ(大陸)とアメリカで成功したこれらの政策が、他の国では役に立たないことが20世紀になってわかってきた。労働力があまりにも安い場合、生産性を高めようと機械を発明したり導入したりするインセンティブが生まれてこない。産業革命は高賃金経済を生み出した原因であるばかりでなく、高賃金経済が生み出した結果でもある。
フランスの国内制度が産業革命を遅らせたという面がある。フランスでは財産権が過度に保護され、運河や有料道路の敷設で強制収用ができなかったが、イギリスは可能だった。イギリスは1人当たりフランスの2倍の税を徴収し、海軍を強化して帝国の領土を拡大した。労働が割高で資本が割安なイギリスで産業革命が生じた。
アメリカとメキシコの差が生じた原因のひとつは、スタート時の人口構成である。1800年での先住民はメキシコで350万人、合衆国では1万5千人(1890年)だった。移民が本格化する前に、既に伝染病で激減していた。アメリカはイギリス由来の法制度を採用し、メキシコは先住民の土地共有制度や植民地時代の負の遺産ともいえる制度を引き継がなければならなかった。
中央アメリカは植民地経営に向いておらず、南米は輸送に問題があり開発が遅れた。サブサハラのアフリカは、エチオピアを除けば農耕文明がなく、産業を生む素地がなかった。低賃金が戦争を起こし、それが経済を抑制し低賃金をもたらす悪循環に陥った。
20世紀、西洋に追いついた国は、日本、台湾、韓国、ソ連。中国も同じ道を歩みつつある。これらに共通するのは、ビッグプッシュ型工業化(傾斜的な資源・資産配分)である。
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