芥川龍之介、「地獄変」。
1918年(大正7)発表の作。
「羅生門」や「鼻」と同様、「宇治拾遺物語」の中の或る説話から題材をとった見事な手法である。「宇治拾遺物語」は、平安時代の庶民を中心とした話しが多いのだが、その鬼気迫る迫力に作者は注目していたようである。
平安時代にいたとされる芸術以外は認めないとする天才絵師・良秀。
一方、仕事においてはその仕上がりに拘る余りか、我を忘れて没頭するという噂もあり、奇妙がられた。 彼には可愛い娘がおり、溺愛していたためか、婚期が来ても、殿様からの結婚の誘いを断る。娘も天才絵師の父に惚れこんでいる。恥をかかされたその殿様は、仕返しに彼に「地獄変」なる屏風の絵を注文する。
屏風絵の完成に異常なまでの拘りを持つ良秀は、弟子に無理な注文をさせてまでさせる。完成の一歩手前で、若い女が焼き死ぬイメージが沸かないので、その殿様に本物がみたいと頼み込む。この殿様は、彼が仕事に没頭して、周囲がわからないという欠点を疾うに見抜いていた。
殿様は、用意した策を決行する・・・。
物語は、本当に悲劇である。また、この異常な描写力は、龍之介そのものである。ある種、その域に達したというべきか、仕事への情熱が悲劇を招くといったテーマを、自身の仕事熱とオーバーラップさせた戦慄の作品であろう。また、芥川の唱える「芸術至上主義」の極地とも言える。
日本では、この作品に最も感銘を受けたという三島由紀夫氏が、彼の代表作「金閣寺」のモチーフにしたとも言えそうな話だが、その芸術家、特に日本の芸術性の一つの方向性を示した傑作とも言える。
自己憐憫のもつ悲劇性というのは、案外、日本だけが持つ独特のもので、日本の文化と深く密着し、海外でも、今もって着目されているということは、記憶に留めておきたいところだ。もしかすれば、海外には、こういった精神文化が極度に追及されたことはないのかもしれない。一昔前のハリウッド映画では、特にフランシス・フォード・コッポラ監督が日本の精神文化を研究し、その悲劇性を作品に盛り込んだという話は有名である。
しかし、今のハリウッドは、日本のアニメーションや特撮を研究するといったスタイルに転じている。時代の流れではあるのだが、少し寂しい気もする・・・。
「地獄変」、日本の、芥川にとっても最高傑作の一つであろう。
<ミニ・データ>
原作者;芥川龍之介
出版年;1917年(大正7)