彼女と親交のあった方達20人くらいにインタビューを行いそれを島崎さんが章だててまとめられたものです。
「婦人画報」に連載されていたものに加筆されている章もあるようです。
「安井かずみ」というと「訳詩家」のイメージがあったけれどたくさん歌謡曲の歌詞を書いておられたことを知りました。
一番びっくりしたのが
「私の城下町」(小柳ルミ子)
有名なところでは
「草原の輝き」(アグネス チャン)
「よろしく哀愁」(郷ひろみ)
「危険なふたり」(沢田研二)
「赤い風船」 「じゃぁ またね」(浅田美代子)
「激しい恋」(西城秀樹)
「折鶴」(千葉紘子)
そうだったんだ・・・。
もちろんもっとあります。
4000曲くらいの歌詞を書かれているそうです。
当時もさほど気にも留めていない人でした。
作詞家をやめられてからたくさんのエッセイを書いておられたのは知ってました。
加藤和彦氏と結婚されて理想の「ワーキングカップル」などともてはやされていたのも知ってました。
ところが
安井さんが肺がんで亡くなられてすぐに加藤氏が再々婚されたのを知って愕然とした記憶がありました。
あの理想のカップルはなんだったの?
一般人の私が驚いたのだからや安井さんの周りの人は衝撃だったと思います。
亡くなる直前まで手厚い看護をされていてこんな家族は今まで見たことがないと言う担当医だったお医者さんは「腰を抜かすほど驚いた」らしいです。
加藤氏にとって亡くなった安井さんのことは「完結した」ものだったようです。
確かに遺されたものの哀しみは大きくそれでも生き延びなければならないのだから苦渋の選択であったのかもしれません。
その後
加藤氏も自殺されて本当に完結しました。
「夫婦」っていろんな形があり、どんな風に見えてるか、なんて思って生活していませんよね。
人からいろんな風に見えていてもこの「夫婦」は2人で築き上げた17年間だったのでしょう。
妹さんから見た夫婦像が一番真実に近いのでしょう。
恐らく年齢も年収も上回っていた妻が夫に対していろいろ望んでいたようで忠実に「夫」としてなりきって支え続けたようです。
そして彼にとってそれは大変だったのかもしれないけれど一番輝いていた時代だったというのは皮肉な話です。
それぞれの人生だとわかっていながらもなんだか興味深く読みました。