逸茂厳記氏は喫茶店の入り口に一人、いや一鬼で入るのでありました。 「大丈夫です。飲み物を供してくれます」 すぐに喫茶店の入り口から顔だけ出して、逸茂厳記氏は拙生達を手招くのでありました。 「先程コーヒーを飲んだばかりですが、またコーヒーを頂きましょうかな」 席に着いてから拙生はメニューを見ながら、応対に来たウエイターにとも、護衛二鬼にともつかない云い方をするのでありました。 「私はオレンジジュースを」 これは逸茂厳記氏の注文であります。 「私はミルクティーを」 こちらは発羅津玄喜氏の言葉であります。 「何か、私はこちらに来て以来、あっちこっちでコーヒーを飲みまくりましたなあ」 拙生は回想するのでありました。「娑婆では豆アレルギーがあったので、晩年は控えておりましたが、娑婆の肉体から解放されて、その分を取り戻すような按配でしたかなあ」 「元々コーヒーはお好きでいらしたのですか?」 「ええ。豆アレルギーを発症する前は、少ない時でも日に五六杯は飲んでいましたかな。一時期は豆とか淹れ方にもあれこれ凝りましてね、ネル挽きにしてみたり、バリ島のコピのように、インドネシア産の豆を金槌でパウダー状に粉砕して、それをカップに入れて砂糖も入れて上からお湯を注いでかき混ぜて、暫く置いて上澄みにして飲んだりしましたよ」 「私はそう云う淹れ方は存じ上げなかったのですが、ちょっとワイルドな感じですねえ」 逸茂厳記氏がやや目を見開くのでありました。 「それ、一回試してみましょうかなあ」 発羅津玄喜氏も興味を示すのでありました。 「どうぞ。一回だけと云うなら、試みられても良いですかな」 「あれ、あんまり美味くはなかったのですか?」 「美味くない事もないのですが、飲み干した後、下に溜まった黒々とした沈殿物を見ると、如何にも体に良くない事をしているような気がしてきましたなあ」 「ああそうですか」 「まあ、それはあくまでも私の印象と云うだけで、実際に体に良くないのかそうでもないのかは、然とは判らないのですがね」 「また娑婆にお帰りになったら、恐らくコーヒーは暫くおあずけとなりますね」 逸茂厳記氏が多少の同情をこめた云い方をするのでありました。 「そうですね。またこちらに来た時のお楽しみ、としますよ。もうこちらの様子も大体判っておりますから、今度はコーヒーばかりではなく、日本酒を始め酒類の方も今回以上に飲みまくりたいと思います。亡者は幾らでも飲めるし、それに酔う事もないのですからね」 「それはもう、ご存分に」 逸茂厳記氏は微妙に呆れ顔でお辞儀して見せるのでありました。 「ところで私は娑婆に逆戻るとは云うものの、前の同じ肉体に戻るのでしょうかね?」 (続)
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