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コリントの信徒への手紙Ⅱ 8章1~15節

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<あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。(9節)> マケドニアにあるフィリピの教会にパウロは「・・・あなたがたはキリストを信じる事だけでなく、キリストのために苦しむことも恵みとして与えられているのです・・・」と書き送り、テサロニケの教会には「あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり・・・」と書き送っている。 マケドニアの諸教会はここに詳しく記されていないが、何らかの苦難と困難の中にあった。けれども彼らは「苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。」とコリントの信徒に伝える。 ユダヤの首都エルサレムは、イスラエルの民の礼拝と政治の中心地である。そのエルサレムにいる初代信徒たちの群れは、ユダヤ人からの厳しい監視と差別の中、宣教を続けるにも、教会を維持し続けるにも経済的困難を強いられていた。 「神からの恵み」の恵みは原語でカリス、そのカリスが慈善の業(カリス)と奉仕(ディアコニア)となって具体化されたと南牧師は解説される。パウロが彼らの献金を携えてエルサレムに上った時3名のマケドニア出身者も同行した。ローマ書ではその時のことを「エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助(交わり=コイノニア)する」と記す。 「こうした初代教会のディアコニアやコイノニアという流れの背後には明らかに主の恵み(カリス)が働いていたのであります。そこには『神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられ・・』を貫かれた主イエス・キリストの豊かな恵みが働いているのであります」と南牧師は説かれる。 パウロの代理として派遣されたテトスはコリントの教会に献金を募った。彼らは他の教会に先だって献金をし始めたが、やり遂げることができなかったと、パウロはテトスの報告を通してそれを知ると、彼らに「今、それをやり遂げなさい。・・・自分が持っている物で」と勧めた。 そして「あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いが取れるのです。」豊かな商業都市コリントに住む信徒たちは、他の教会より裕福であったことがうかがえる。 しかし、裕福なものこそ、物に執着し、強欲になり、他を顧みないのは今も昔も同じだ。主イエスは「らくだが針の穴を通るよりも難しい」と嘆かれていた。


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