さて、「小林朝夫サンの『本当は怖ろしい漢字』のアラを探してみよう」の2回目(おっと勝手にシリーズ化してるがナw)は、彼が本の中で二番目に取り上げている
「童」
の項目を検証することにする。
例によってまずは朝夫サンの文章を引用してみようと思うのだが、彼は厳かにこう宣言する。
元来「童」というのはただの子どもではなく、「悪い子」を表す字なのだ。ふむ。われわれは「童」というのは単なる「子ども」のことだと理解しているわけだが、「それは違う」と朝夫サンは言い張る。それはあくまでも「悪い子ども」に限って用いられる漢字である、というのだ。で、以下にこんな説明が続く。ちょっと長いが我慢せられよ。
「童」は、「辛」という字と「重」という字を縦に連結させた字で、意味は「辛くて重い」というものになる。部分的には正しいことも書いてあるようだ。たとえば「辛」という字であるが、白川静博士の『字統』によれば、これはもともと「奴隷や罪人に入れ墨をする道具」だという。それはおそらく確かなことなのだろう。だが、それ以外の部分はほとんどが眉唾モノだ。 とりあえず検索をかけたところ、共同通信社で長年活躍された超一流の文芸記者、小山鉄郎氏が「童」の文字にかんして記した文章がネットにアップされてたので以下にそれを引いてみる。ちなみにこの方は、白川静氏の仕事を紹介する紹介本なども出しておられる。
だが、子どもの場合はまだ未来に可能性が残されているので、いきなり死刑になることは少なかったという。
では、罪を犯した子どもをどうしたかというと、誰が見ても犯罪者であることが分かるよう、両目の瞼の少し上の部分に「辛(入れ墨用の針)」で、横長の棒の形の入れ墨を入れ、罪を犯したという刻印を負わせた。
(中略)
つまり「童」とは「子どもの罪人の証」なのだ。
「童」はもとは男性の罪人を表す文字でした。古代文字形は少し複雑ですが、上から「辛」「目」「東」「土」を合わせた字形です。つまり名記者・小山鉄郎氏は次のように語っているのである。 むかし犯罪をおかした男は目の上に入れ墨をされた ↓ そうした男たちは「童」と呼ばれた ↓ ちなみにそうした男たちは髪を結うことが許されなかったので見た目的にはそのあたりの子どもとよく似ていた ↓ こんな経緯から、「童」という字は「子ども」を指し示す字に転用されていった どうであろう。 字形についても朝夫はこれと若干違うことを書いているんだが、ま、その点は措いておこう。問題は、ここには「犯罪を犯した子ども」の話なんて全然出てこないということだ。「悪いことをしたので入れ墨を入れられてしまった大人は<童>と呼ばれておりました」という話がまずあって、で、そういう「童」のザンバラ髪が子どもたちに似ていたので、いつのまにか「童=子ども」という風に理解されるようになりました、単にそういう話である。 いや、そもそも朝夫サンは「子どもには将来があるので、多くの場合は犯罪を犯しても殺さず、入れ墨を入れただけで放免されたのだった」みたいなリクツを展開しているが、だいたい「コイツは前科持ち」という証明の入れ墨をほどこされたガキなんて世間からつまはじきにされて更正もクソもないだろう。 この人間の住む世界には、犯罪をおかしたガキにたいして「まだ小さいから十分更正の余地があるよなー。暖かく見守ってやろう」なんてヤツはほとんどいなくて、「こんなガキのくせに悪いやっちゃなー。用心ならねえ!」という人のほうが圧倒的に多いのである(良い悪いは別にして)。人権意識が高まった今だってそんな具合なんだから、古代中国でそんな入れ墨のはいったガキを放免云々なんて話は笑止千万なのである。この男は「作家」とか自称することもあるようだが、人間というものが全然わかってない。 というわけで、今回もあんまり調べていないので断定的なことをいうのはナンなのだが、少なくともここまでのところで言えることは、こういうことだ。天下の共同通信の名物文芸記者の言ってることを信用すべきか。あるいは淫行で逮捕された経歴をもつ虚言癖のある男のほうを信用すればいいのか、ということだ。 結論は明らかであろう。
犯罪を犯した男性は目の上に入れ墨をされたのです。もともと受刑者を意味する字ですから、奴隷となり「しもべ」の意味にもなりました。
受刑者は結髪が許されず、その姿が髪を結わない子どもたちと似ていたので「わらべ」の意味ともなったのです