『3.11とメディア』 山田健太 2013/03
著者は専修大学人文・ジャーナリズム学科教授。 東日本大震災をメディアがどのように伝えたかという本。
震災後、東電あるいは政府との統合本部の会見で発表者を追い詰めたのはフリーランスの記者たちだった。一方、こうしたフリージャーナリストの「追求劇」がパフォーマンス的要素を含んでいたことは否定できない。会見は事実を聞き出す場から、当事者を追い詰め言い負かす場に変質する可能性を含んでいた。これはいまふうのメディアユーザーに共通の感覚であり、ポピュリズム政治に共通する性向だと述べる。
著者は、反原発の市民デモを「反対派」と報じることに異を唱える。「デモ=多数派」だというのを理由にあげる。しかし賛成・反対と多数・少数は関係ない。典型的な論点のすり替えである。
伝統メディアが抱えた問題は、①凄惨すぎて伝えきれない ②広範すぎて取材できない ③危険すぎて現場に近寄れない ④事象が専門的で踏み込めない など。
伝統メディアによる安否情報は中途半端なものとなり、グーグルの「パーソンファインダー」に安否情報は集約された。
今回特筆すべきは「ポータルメディア」の立ち上がりの速さと大きさ。ヤフーとグーグルは震災情報に関するサイトを素早く立ち上げた。パーソンファインダーには67万件の情報が登録された。「集合知による情報発信」が旧来の報道の役割にとってかわる部分が生まれている。
一方でこうした情報の取り扱いが問題となる。グーグルはパーソンファインダーを半年で閉鎖した。早期の閉鎖は情報の漏洩や他のビジネスへの転用を恐れてのことと思われる。日本で最大の安否情報データベースが、一企業の論理だけで左右されることに「違和感」があると述べる。
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