「つまり、人類はもう辛い過去に縛られることがないということなのです」
カルテと私の顔を見比べながら医師が言った。
ライフリセット術が発明されてから十年も経っていない。だからまだすべての人間がこの術法について完全に理解しているとは限らないのだ。
「ですけど、先生。いいことまで忘れてしまったりはしないんですか?」
「そこのところは安心してください。辛い経験や嫌なことだけがすっぽりと消去されるんです、それがライフリセット法です。では、この書類にサインしてください」
私は半信半疑ながら、医師の指示するかションいサインをした。
しかしなんと幸せな時代になったものだろう。医師の説明通りなら、もはや人類には悲しみも憎しみも生まれない。辛いことから解放されたのだ。辛いことや悲しいことが無くなれば、当然ながら怒りや憎しみも消える。そうすれば人類には笑顔しか残らない。真の幸福な時代が訪れたのだ。
翌日、私はライフリセット術を受け、午後には安らいだ気持ちでベッドの上にいた。
「どうですか気分は?」
回診してきた医師の問いに、私がすこぶる快調であると答えると、医師が続けた。
「では、二、三、簡単な質問をしますよ」
「はい、わかりました」
「あなたは最近、ひどい事故にあわれましたか?」
「事故? なんです、それは。私はそんなひどい目にはあってませんよ」
「そうですね、その通り。では、小さなお子さんをなくされましたか?」
「なにを言ってるんです? 私はそもそも子供なんていませんよ」
「そうでしたね。では愛する奥さんを失ったというようなことも?」
「ドクター、おかしなことばかり聞くんですね。私には妻などいません。結婚してませんから」
医師は大きくうなずきながら笑顔を見せた。
「なにも問題ありませんね。明日にはもう退院できると思いますよ。あなたのライフリセットは大成功です」
了
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