風の中のマリア 百田尚樹
一昨年映画化で話題になった「永遠の0」や第十回本屋大賞受賞「海賊とよばれた男」の著者でもある。TV放送作家出身で、その映像的エンターテイメント構成は、読み手を作中にぐいぐいと引き込む。
また、執筆に関連する総てのことを仔細徹底して調べあげることでも一目置かれる存在である。氏の著作の中で、「風の中のマリア」は異彩を放つ作品だ。極めて学術的に描かれていながら、同時に冒険小説のように力強く、血湧き肉躍る快感すらある。希有な面白さを持った不思議な感覚。それは主人公にある。
マリアは蜂。ヴェスパ マンダリニア、非常に獰猛で攻撃性も攻撃力も極めて高いオオスズメバチのワーカー(働き蜂)。およそ三十日間の命しか持たず、他の昆虫を襲って妹たち(作中マリアは幼虫をこう呼ぶ)の餌にする。固い甲殻類の甲殻をも噛み砕く大顎を持ち、太い針からから噴出する毒液は大型哺乳類をも殺傷するハンターの一生涯だからである。
動物を主人公に置いた作品は、古典的名作「シートン動物記」をはじめ数限りなくある。働き蜂の生態・捕食する生き物との関係にまで忠実に追った点でも他に類を見ない秀逸な作品だと思う。
蜂の基本的な生態について、分かっているつもりでいた。それは、ミツバチ(セイヨウミツバチ)のそれでしかなかったのだと、読み進める中で痛感した。オオスズメバチは、全く異なる生態を持っていた。その至上最強の蜂に、集団で取り付き体温を上げ、熱で拮抗するニホンミツバチの『蜂球』攻撃。太古からオオスズメバチと戦い、共存のために編み出した圧巻の戦略。それに反して、外来同種のセイヨウミツバチには無抵抗で蜂蜜の総略奪を許し、餓死するしかないニホンミツバチの性をカメムシやシデムシに語らせる。「生」のシステム総てが、固有種の遺伝子に組み込まれているか否かなのだとまざまざと知らされた。
作中、オオスズメバチの単倍数体性ゲノムにまでかかわり、種の存続を謳う。最期を予感し始めた『母なる女王』は、大きい育房室にワーカーの卵を産み始める。新女王となりえる卵だ。ワーカーは産卵できないのではなく、『母なる女王』のフェロモンに抑制されているのだという。ワーカーの幼虫たちが新女王たちとなるためには、自らのフェロモンを消し去るしかない。自ら産んだワーカーらに自身を殺させることでそれを果たす。それと同じくして、フェロモンが消失した巣の中では、若いワーカーが疑女王バチ化して無精卵から雄バチを産む。ワーカーから生まれた雄バチは、『母なる女王』のパートナー『偉大なる父』のゲノムを女王のそれよりも高い割合で保持しているためだ。母なる女王が居ない巣の中であっても、残ったマリアたちに乱れはない。新女王となるべき妹たちと『偉大なる父』のゲノムを有する弟たちを羽化させるために敵を捕食し、彼・彼女らに与えていく。キイロスズメバチの巣から幼虫やサナギを奪う集団攻撃は、血なまぐさい殺戮・戦闘行為であるのだが、DNAにプログラミングされているかのような連携と動きには美しさすら感じてしまう。他のスズメバチにはないオオスズメバチ特有のものだという。
「あんたたちは生まれた時には母がいる。強力な帝国の中で生まれて、姉たちに育てられて大きくなった。成虫になるのに何の危険もなかったんだ。そんな虫はどこにもいやしない。あたしたちは違う。生まれたときには母もいないんだ。何百匹という仲間と一緒に生まれるが、情けないくらい小さな体で生まれてくるんだ。守ってくれるものなんか誰もいない。生まれた時から戦場の中だ…」オオカマキリがマリアとの死闘の中で吐く言葉である。
生まれ育っていく子ども達に、任された年限の間に施すべきものは何なのかを自問する。マリアには遠く及ばないが、『守る』は忘れてはならない答えだと言える。
講談社文庫
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『風の中のマリア』
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