拝み屋（１）

　信也君はマスターの前に座って考えている。しばらくすると信也君が歌い始めた。ととろの曲だ。耳もとで楽しそうに歌っている。最初は耳を塞ぐようにしていたが、その内耳を傾けるようになった。
「驚かせてごめんなさい」
　私は、もう片方の耳に話しかけた。マスターは、また耳を塞ぎかけたが、途中で止めて、私の言葉にも耳を傾けた。
「驚かせてごめんなさい」
　もう一度話すと、今度は小さく頷いてくれた。
「あんたは誰だい、もう一人は子どもだね。二人とも幽霊なのかい」
　安全だとわかったようで、声が落ち着いてきた。トイレでお経を呪文のように唱えていた人とは思えない。
「幽霊じゃないわよ、私たちは、この先の済世会病院の入院患者なの。二人ともね、昏睡状態で動けないんだけどね、なぜだかこんな風に動き回れるの。不思議でしょ」
「他の人にも声が聞こえるのかい」
「マスターが初めてよ、さっきね、客が三人いたでしょう。みんな私の友だちだけどね、誰も聞こえないみたいなの。何度も話しかけたけど、誰も気づかなかったわ」
「そうだったのか、三人なのに、時々変な声が聞こえるから気になっていたんだ。なるほどそういう訳だったのか」
　そう言うとマスターは何度も頷いた。
「マスターは、さっきの話を聞いていたの？」
「聞く気は無かったけどね、狭い店内だから聞こえていたよ。友だちは大変な目に遭っているね。いい解決策は見つかったかね」
　マスターは心配そうに訊いた。
「今のところ、打つ手なしよ。何かいい方法無いかしら」
　そう言うと、マスターは黙って考え始めた。眉間に皺を寄せて腕を組んでいると、なかなかの迫力を醸し出している。押し出しはよさそうだ。
「そうだ、うん、いい方法があるぞ」
　マスターは何かを思いついたようで、話す方向を探している。
「どっちに向かって話してもいいわよ、何を思いついたの？」
「わしの昔の知り合いに拝み屋がいる。あの婆さんに話してみよう。ただし、ちょっと高いぞ」
「拝み屋って、何？　そんなの聞いたことが無いわ」
「昔世話になったことがあって、実力は大したもんだ」
　マスターは自信ありそうに笑った。
「どういうこと？」
　私が訊くと、マスターは昔を思い出すように話してくれた。付き合った女と、別れられなくなり、それで拝み屋に世話になったと言うのだ。やり方は至って簡単で、女の髪の毛でも爪でも、とにかく女の身体の一部を拝み屋に預ければそれで十分らしい。毎夜のように、女の枕元に拝み屋の霊体が表れ、別れろ、別れろと囁いたのだ。女は根負けして、遂にマスターを諦めたという話だった。
　これなら私にもできそうだけど、問題は相手に私の声が聞こえないことだ。拝み屋の凄いところは、誰にでも自分の声を聞かせることができることらしい。この拝み屋は今も現役で活躍していて、客は後を絶たないらしい。この人に頼んで、部長に悪事を白状させようという考えだった。
「面白そうね、お願いしたいわ」
　私が頼むと、お金が結構かかるが、どうやって払うのか訊いてきた。そんなのはあの三人に払わせればいい。私は絵里子の携帯番号を教え、一部始終を話して、明日もう一度ここに来るように伝えて貰うことにした。
　これで部長が根負けして、悪事を会社に白状してくれれば万々歳だ。やってみる価値はありそうに思える。部長に少しでも良心てものがあればの話だけど、明日が楽しみになってきた。
「信也君、どこにいるの？」
　またどこかに消えた。子どもはちょっと目を離すとこれだから困る。
「もう話は終わったの？」
　カウンターの下からごそごそしながら出て来た。
「そんなところで何してたのよ、もう帰るわよ」
「あのね、僕、大発見したよ」
　信也君が眼を輝かせて言った。
「何なの、その発見というのは」
　そう言うと、私にもカウンターの下に入れと言う。ほったらかしにしていたから、少しは遊んでやろうと思い、あまり気は進まないが、下に潜り込んだ。あまり綺麗ではないし、照明の光が届かず薄暗い。
「ねぇ、よく見て！」
　信也君は自分の両手を私の目の前に差し出した。何の遊びだろうと思って、黙って見ていると、もっとよく見ろと言う。なんだか手や腕の輪郭が薄ぼんやり光っているような気がする。
「えっ！　何なの？」
「ほら、大発見だよ。僕たちはね、昼間は明るいから見えないけど、暗いところなら見えるんだよ」
　信也君は嬉しそうに、身体のあちこちを見せてくれた。確かに光っている。これなら真っ暗闇ならぼんやり見えそうな気がする。これは使えるかも知れない。少しわくわくしてきた。今夜試してみたい。