DENGEKI Girl'sStyle 2015年 01月号増刊 大人乙女向けシチュエーションCDマガジン HONEY Style [雑誌]
- 作者:
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2014/12/15
- メディア: 雑誌
DENGEKI Girl'sStyle 2015年 01月号増刊 大人乙女向けシチュエーションCDマガジン HONEY Style [雑誌]
【楽天ブックスならいつでも送料無料】人間は自分が考えているような人間になる [ アール・ナイ... |
内容(「BOOK」データベースより)以前、西内啓『サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている』という本についてブログでご紹介した際、この長ったらしいタイトルの本は「そのほとんどが別の研究者が取り組み、学術誌や書籍で発表している論文からの受け売りであり、その点では本書にオリジナリティはない」と述べ、「内発的経済成長論」について述べている章のベースとしているのはこのダイアン・コイル著『ソウルフルな経済学』であると、原典についてもご紹介しておいた。去年の夏にブログでご紹介してから14カ月が経過し、ようやく『ソウルフルな経済学』を図書館で借りる決断を下した。仕事の方で参考にしたいこともあったので、ちょうどいいタイミングでもあった。 それでもすぐに読み込みにエンジンがかかったわけではない。なにせくだんの仕事は10月頃まではそれなりに頑張って準備を進めていたのだが、途中首を傾げるような横やりが入って嫌気がさし、11月は別のテーマでの英語のプレゼン資料を3つも作成しなければならなかったので、多忙を理由に作業を先延ばしにしていた。3つの発表をなんとか無事に終え、12月も中旬になってようやくひと息つける状態になったので、作業の仕上げを再開した。それで、作業を助けてくれる参考資料として、本書にも光が当たってきたという次第。 本書に注目した最大の理由は、第4章「経済学は幸せにどう役立つか」にある。職場での仕事を先延ばしした行為自体は褒められたものではないが、先延ばししたことにより、それまで作成していた資料に、付け足さなければならない記述を2項目思い付いた。1つは成長と格差に関する最新の学説で、要するにトマ・ピケティの『21世紀の資本(Capital in the Twenty-First Century)』に言及することだ。これについては既にブログでもご紹介している。そしてもう1つは、経済成長の質を評価する指標としての「幸福度」に関する学説だった。こちらについては11月に海外出張をさせていただいて出た会議で他の参加者のプレゼンを聴いていて気づき、加筆した方が自分の作成資料の中身が充実すると考えた。 加筆したポイントというのは、経済成長が本当に質の高いものであることは、経済成長率(1人当たりGDP成長率)だけでは計測できないのではないかという点。2011年9月に中国・大連で開催された世界経済フォーラムの夏期年次会合"Annual Meeting of the New Champions"で話し合われた「質の高い成長」の計測では、成長率よりもむしろ幸福感(Well-being)を問うべきという声が大きかったそうだ。でも、「幸せはお金では買えない」という考えは意外と昔からあって、1974年にはイースタリンがクロスカントリー分析と米国の長期時系列分析に基づき、「所得水準と幸福度の平均値に相関はなく、経済成長は人々の幸福には結び付いていない」という、「幸福のパラドックス」というのを主張している。 その後他の研究者によって同様のパラドックスが他の国でも確認されてきたが、一方で、近年は1国の成長と幸福度はやっぱり創刊しているという実証研究も発表され、論争が起きている。でも、少なくともこうは言えるだろう。GDPの成長を奨励しながらも、同時に所得分配や環境、国民の幸福度向上に重要なすべての指標に注意を払おう、幸福度向上には、有配偶者率、失業率、家族の財政状況、コミュニティにおける結束と信頼(ソーシャル・キャピタル)、健康、政治的自由、個人的価値観、宗教的価値観等が効いてくると。 おかげさまで、作成していた資料にこうしたことを書き込めたことで最後のピースもはまり、先週、社長にも資料をお渡しして無事説明も済ませた。これで気分よく新年を迎えられるというものだ。資料は今後レポートのような形に編集し直して、社内ネットでも公開してもらえるようにするつもり。 基本的にはいい本なので、お薦めしたいのだけれども、2点お断りしておいた方がいい問題点がこの本にはある。 第1に、この本は発刊年が2008年となっているが、世の中は既に2015年を迎えようとしており、さすがに発刊から5年も経過してしまうと、その間に起こったことをフォローしていない点に古さも感じてしまう。例えば、ダロン・アセモグル&ジェームズ・ロビンソン『国家の衰亡(Why Nations Fail)』や、アビジット・バナジー&エステル・デュフロ『貧乏人の経済学(Poor Economics)』等は本書発刊後に発表され、かなり話題になったのだが、本書では当然カバーされていないし、2013年に原書が出たピケティの著書への言及などある筈もない。 第2に、索引を付けていない点は本書のような経済学の文献レビューを行っている書籍での大きなマイナス点となる。スティグリッツやヴェブレンは幾つかの章で紹介されているが、索引がないために、前のどの章でどのような文脈の中でその研究者に言及していたのかが容易に確認できない。これとも関連するが、本書は本文を読んでその原典にあたりたいと思っても、その研究者の何年発表のどの論文がそれなのか、確認することが難しい。本書の原典の中でどのように記載されているのかわからないのでなんとも言えないが、訳者かあるいはこの本の編集者は学術書の作法を知らないのではないかと勘繰りたくなる。 いい本だが、索引がないのは決定的な欠点だと思うので、僕は原書の電子書籍版を購入してみた。原書を見る限り、索引もちゃんとあるし、文中紹介された文献の原典にあたってみることもちゃんとできるようになっている。なんで訳本でそういう大事な点を押さえなかったのか、もったいなくて仕方がない。
経済学は、いま「新発見の黄金時代」を迎えている。行動経済学、神経経済学、実験経済学、情報経済学、進化経済学、新制度派経済、新開発経済学―これらの最新分野が、私たちが抱えているさまざまな社会問題にどのように役立つのか?格差、幸せ、信頼などの核心は? 情報と市場、経済と社会は、いかにリンクするのか?公共政策にどう有効活用できるのか?―最優秀経済ジャーナリストとして、ウィンコット賞を受賞した著者が挑む。
The Soulful Science: What Economists Really Do and Why It Matters
『歩兵の本領』
著 者:浅田次郎
新 書:328頁
出版社:講談社
発行日:2004/04/15
たまに頭がショートしそうな時があるのですが、そういう時は適当に小説なんかを読んでいると大抵やり過ごすことができます。
ランニングするのも良いのですが、ストレスがたまった状態で走るとかなりの確立でオーバーペースになり、ひざなりを痛める結果に…
というわけで、今回は小説を読むことにしました。
こういう時に読む小説は、今まで読んだことのある作家の著作を選びます。
理由は単純。
気晴らしに読みたいのに、それがハズレだとさらに頭がヽ(`⌒´)ノするからです。
あとは、通勤電車の車内や駅の待合室で読むことが多いので、ハードカバーではなく持ち運びに便利な文庫本を選びます。
で、今回選んだのは浅田次郎
浅田氏は日本ペンクラブの会長も務めていて、最近も「日本ペンクラブ声明【太平洋戦争開戦の日に当たって】」を発表し、政府の政策を痛烈に批判
ある意味過保護に育てられた二世・三世議員とは異なり、自衛隊出身者である浅田氏の軍隊に対する考えは、歴史を直視するがゆえに優れた現実感覚を持つように思われます。
その浅田氏の陸上自衛隊時代の体験を元に書かれたのが『歩兵の本領』
舞台は1970年頃の市ヶ谷
世は高度経済成長を謳歌し、また学生運動も盛んな時期
こんな時代に自衛隊に集まったのは「どの顔も若いなりに人生を感じさせる苦労人の表情で、地連のオッサンに騙されたか、せっぱ詰まって転がりこんできた連中」
※地連:かつての自衛隊地方連絡部。現在は自衛隊地方協力本部。自衛官の募集等を行う。
給料は安く、世間から白い目で見られ、本質は軍隊なのに「軍隊」ではないとされた矛盾だらけの存在。
それが当時の自衛隊。
上官は、陸軍士官学校出身者や関東軍下士官ほか帝国軍人が多数で、陰湿な慣習はそのまま。
それどころか、集まってくる隊員自体が「おしなべてろくでなしの荒くれ者」が多いありさまで、隊内生活は旧軍に勝るとも劣らない。
昔読んだ安部譲二の『塀の中の懲りない面々』を髣髴させる雰囲気
しかし、旧軍と異なるのは戦争が彼岸のもので、「憲法があるかぎり、ベトナムに派兵される心配もない」こと。
その存在意義を認めてもらえるよう災害出動に精を出しても、基本的に肩身の狭い存在でしかなく、「過激派」を警戒して制服での外出も不可能。
また、旧軍出身者にも「自衛隊ハ戦ヲシナイ。攻撃サレタトキダケ防御スル。」という姿勢がある程度あったようです。
全編を読んでみて感じるのは、矛盾した存在ゆえの卑屈もあるでしょうが、市民や政治に対する自衛隊員の謙虚さです。
確かに、クーデターを想定した三矢研究(発覚は1965年)に露呈したように、統合幕僚会議レベルでは戦争は現実のものであったかもしれません。
しかし、そのような軍のおごりのようなものは、上層部に留まっていたのではないでしょうか。
また、その上層部にしても敗戦から四半世紀しか経過していない1970年頃は、戦争に対する現実感覚が今よりはあったように思われます。
では、翻って現在はどうでしょう?
ありえないと思われていた海外派兵が常態化し、災害出動に対する警戒心もほぼ一掃され、防衛庁は省に昇格。
そして9条改憲を公言する政権が誕生
旧軍的体質の復活ににらみを利かせていた旧内務省系の勢力も、とうの昔にいなくなってしまいました。
個人的には、第二のゴーストップ事件(比喩的意味で)が近い将来に起きるのではないかと危惧しています。
※ゴーストップ事件:1933年に発生した軍の台頭を象徴する事件
おまけ:「歩兵の本領」とは1911年に発表された日本の軍歌のタイトルでもあるらしい。「聞け万国の労働者」が、これの替え歌であるとのこと。左右が同じメロディーを愛好していたのですね♪