近年身の回りに忌まわしい不幸ばかりが起きるその理由を占え。
そう乞われて帝の邸を訪れた余清暗(あまりせいあん)は百済より亡命してきた名もなき坊主であり、天文学と暦学を学びこそすれ、占星術というものはそのついでの手慰みに行っているだけなのだ。しかし帝から占えと言われてできませぬと言えば首が飛ぶかもしれない。清暗は「ははぁ」と返事をして事の次第を持ち帰った。
こんなもの占ったって答えがわかるはずもない。そもそも奥方や周囲の者がなぜ死んだかと問われれば、それは寿命化病に決まっておる。それ以外に何の意味があろうか。
とはいうものの、帝の周囲を調べてみれば不幸の始まりは弟君の反乱にあったらしく、帝は弟君を捉えて幽閉、その挙句に餓死させたという。
ははぁ、これが原因と言うことにしておけばもっともらしいわい。
清暗は帝の元に出かけて然り顔で言った。
「これは弟君の祟りでございます。この地は穢れてしまいました故、新天地にて居を据えられた方がよろしかろう」
かくして永岡京の短い都時代を終え、新都は平安へと移されることとなった。かの清暗はこの陰陽の技を買われて新都でのさまざまな陰陽事を任される運びとあいなった。
おやぁ、しかし困った困った。あのような適当な陰陽で帝にここまで信頼されるとは。新都での陰陽事すべて任せるといわれたところで、わしはどうすればよいのじゃ。わしは天文学者であり暦職人じゃて。陰陽はほんのお遊びなのじゃ。じゃができんと言えばまた首が飛ぶことになるやもしれぬ。かと言ってかしこまりなどと言って何もできないじゃ困るしのう。
清暗、三日三晩考えた挙句、妙案を思い付いて、新都でこれを実践していく。
北東は鬼門であるから三重の厄除け門をしつらえよ。
清暗の意見によって帝はそのように新都の北東に三つの門を構えた。その結果何事も不吉なことが起こらぬようになり、帝は喜んだ。
「さすが清暗。うまく邪気を取り除いてくれたわい」
あまりに平穏が続くと手柄を立て難いと予測した清暗は、再び一策を講じた。南方の山奥に大猪が出没するという噂を聞きつけてこれを悪玉として報告し、武士たちを操って討伐した。
そのほかにも他国より異人が現れると鬼と称して退治する、病が流行れば厄病であると騒いで鎮火を待つ、月食を予測して天の祟りだと騒ぎたて、多額の奉納金を納めさせて時が過ぎるのを待つ。
とにかく知恵を働かせて出来事のおおかたを邪気や鬼の仕業であると吹聴しては勝手に収まるのを待ち、その様子を予測することによってあたかも清暗が事態を収集したかのように見せかけると言うことを繰り返すのだった。
こうして清暗の陰陽道は帝に支えられ権威あるものとしての基盤を固めた。以後、長年陰陽道はこの国を支える大きな役どころとして不可欠なものとされることになった。
……というような事だったかもしれぬなぁ。
了
↓このアイコンをクリックしてくれると、とてもウレシイm(_ _)m