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幽霊(12)

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「私だけだと思う。偶然だったの。部長のパワハラから逃げるには、部長の弱みを握るしか方法は無いって思ったの。エロ親父のことだから、浮気相手とのいやらしい写真とか、デスクの引き出しに隠してるんじゃないかと思って探したわ。奥さんにバラすと脅せば、大人しくするんじゃないかってね。女子高生の子どもだっているのよ。それで、引き出しの奥にあったのよ。でも写真じゃなくて、小さなメモ帳がね。日付と金額が書き込んであったわ。悪知恵が働くくせに、こういうところは間抜けよね」
 貴子は小さな溜め息を吐いて笑った。
「最初は何のメモだかわからなかったけどね、眺めていたらピンときたの。だって、最近の部長は羽振り良すぎるでしょう。家のローンはあるし、私立の女子高生に、長男は工学系の私大に通わせてるのよ。それだけでも大変なのに、ジャガーの新車を乗り回して、おまけにスーツはイタリアのフィレンツェで仕立てたオーダーメイドよ。私に自慢して見せたわ。だからひらめいたのよ」
「間抜けな奴だ!」
 俊介が吐き捨てるように言った。
「他人事じゃないわよ、俊介だって間抜けにされるかも知れないわ。パスワードの一つは俊介が持っているのよ、どうするつもり?」
 貴子は俊介を睨みながら言った。
「俺が犯人だとしたら、部長のパスワードを知ってる訳だ。部長と共犯もあり得るなぁ。それに、貴子がパスワードを盗んで俺に教えるってシナリオもありだ。だけど、部長のメモは決定的証拠じゃないの?」
「そんなのどうにでも言い逃れできるわ」
 貴子は悔しそうに言った。
「じゃぁ、このまま黙って大人しくしているしか無いの?」
 絵里子はそう言って天井を見上げた。
「ブタ野郎め!」
 俊介が拳を握り締めて言った。それよ、その台詞よ、それで部長はブタになったわ。あぁ、だけど、この世界じゃ通用しないわ。
 三人は、色々話し合ったけど結論は出ない。警察に届けようって話になりかけたけど、俊介が二の足を踏んだ。部長がどんな罠を仕掛けてるかわからないし、間違いなく、真っ先に疑われるのは俺だからと言った。どんな事件でも、第一発見者を疑うのは鉄則らしい。
 立ったままいるのは疲れないけど、精神的にとても疲れた気がする。この疲れ感は霊体でも変わらないみたいだ。
 三人は疲れた足取りで店を出て行く。私も一緒に出ようと思ったら、信也君がいない。
「信也君、どこにいるの?」
 店内を見廻しながら呼んだけど姿が見えない。どこに行ったのかしら。もう一度大きな声で呼ぶと、マスターが不思議そうな顔で辺りを見廻ししている。それから入り口のドアを開けて外を見て、中に入るとトイレの中を確認している。聞こえたのかしら、今度はマスターって呼んでみた。また不思議そうに辺りを見廻しし、カウンターに座ると腕組みをして考えている。
「誰かいるのか」
 マスターが言った。やっぱり聞こえたみたいだ。マスターの真正面に立って、顔を覗き込みながら呼んでみた。
「マスター、マスターってうるさい! ちっとも怖くないぞ」
 そう言いながら、異常にキョロキョロし始めた
「わたしよ………わ…た…し」
 少し低い声で呼んでみた。マスターの身体が小さくブルリと動いた。
「よ、芳恵か?」
 顔に似合わず、怖がりだわ。大抵の男は一人や二人泣かした女がいるものよ。だけど、この怖がり方はよほど悪いことをしたに違いない。もう少し虐めてみたくなった。
「そうよ、よしえ、私は、よ…し…え」
 今度は耳もとで囁くように言ってみた。マスターは耳を塞いで床に座り込んでいる。
「俺が悪かった、頼む、来ないでくれ」
 両手を摺り合わせながら天井を仰いでいる。マスターには何の恨みも無いけど、なんだか、女性の敵を成敗しているような気分になってきた。もうひと押しだわ。
「うらめしや~」
 昔の怪談映画みたいに言ってみた。でも、ちょっと定番過ぎるわ。これじゃつまんない。だけど思った以上の効果で、マスターは頭を床に擦りつけ、頭の上で両手を合わせて震えている。ちょっとやりすぎたかしら。
「頼む、迷わず帰ってくれ!」
 マスターが絶叫するのと同時にドアが開き、客が入ってきた。客は土下座して帰ってくれと叫ぶマスターを見てびっくりしている。どうしていいかわからないみたいで、入り口に立ったまま、マスターを見下ろしている。
「あの、四人なんですが、いいですか?」
 先頭に入ってきた女の人が、腰を低くして小さな声で尋ねると、マスターは客の顔も見ずに、トイレの中に這うようにして逃げ込んだ。トイレの中からお経を唱えるような声が漏れている。客は呆気にとられてしばらくトイレを見つめていたが、困惑したような顔で店を出て行った。私も帰ろうかと思ったけど、信也君はいないし、このままマスターを怖がらせたまま帰ったら、それこそ私に罰が当たりそうな気がした。マスターがトイレから出てくるのを待つしか無いみたいだ。
 私はカウンター席に座り、先ほどの話を思い返した。絵里子たちはこれからどうするつもりなんだろう。状況はわかったけど、今の私にはどうにもできない。スピーカーから流れる曲が、モーツァルトの四十一番になっている。ジュピターだ。ジュピターというのは、ローマ神話に出てくる最高の創造神だと父から教わった。トイレから小さな声で、まだ呪文のような声が響いている。
「姉ちゃん、マスターどこに行ったの?」
 いつの間にか信也君が戻ってきた。
「トイレの中よ、今ね、ちょっと大変みたいだから助けてあげて」
 そう言うと、信也君はトイレの中に入って行った。しばらくすると、許してくれを連発しながら、マスターがトイレから這い出てきた。
「ねぇ、マスターって、僕たちの声が聞こえるんだね。でも、何を怖がっているの?」
 信也君が困ったように言った。
「私たちがいい人だって教えてあげてくれるかしら。そうしないとマスター不眠症になっちゃうわ」


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