内容(「BOOK」データベースより)レバレッジ・リーディングということで、三重の北畠一族をとり上げた横山高治の著書をもう1冊読み直してみることにした。こちらは伊勢の北畠氏をとり上げているといっても、南北朝の頃の話は軽めで、むしろ戦国時代の、八代国司・北畠具教と北畠氏滅亡のあたりの記述が中心となっている。そして、この本こそが、NHK大河ドラマに便乗して横山高治をライターにして創元社が狙った「二匹目のドジョウ」だったように思う。 但し、大河ドラマといっても1991年の『太平記』ではない。1992年の『信長-KING OF ZIPANGU』の方に便乗した出版だった筈である。当時僕は岐阜に本店がある会社で勤めていて、ロケ地にも岐阜が使われていたので、僕らからすれば『信長』はご当地意識が相当に強い、思い入れのあった作品だった。ただ、それは稲葉山を「岐阜」と改名し、信長の天下布武の拠点ともなった岐阜県の出身だから言えることであって、信長の侵略を受けた周辺の国々に出身者にとっては、信長に歴史のヒーローといったイメージなどないに等しい。NHKのような「中央」が一方的な歴史観に基づいて制作した作品に、別の視点から一石を投じることもあっても不思議ではない。 実際、これを読むと、織田信長やそれに使えていた木下藤吉郎(後の羽柴秀吉)が伊勢・伊賀国では相当ひどいことをやってきたのだなというのがわかる。前にも書いたが、伊勢国は国司北畠一族の下で統治体制が確立されており、足利将軍家ともそれなりに良好な関係を築いていた。また、世は戦国へと大きく旋回し、上洛して天下に名をとどろかせようと地方の大名が先を競う中で、北畠家にはそうした野心もなく、領国の経営に腐心していた。そこに勝手に踏み込んで来たのが信長である。 しかも、信長、というか秀吉や滝川一益らのやり口はかなりえげつない。北畠一族が元々婚姻関係などを持って長年気付いてきた周辺の城主との友好関係を、城主の重役を調略して告げ口やデマを多用して疑心暗鬼に陥れ、北畠一族の間での同士討ちを誘い、そのどちらかを支援するという名目で織田軍が軍事介入していくという手法を用いている。そして、北畠方の拠点攻略が膠着状態に陥ると、信長の次男、三男を婿養子として送り込む政略結婚を提案して幕引きを図り、そして内側から崩壊に導く。 北畠氏攻略だけではない。それに先んじて行なわれた長島一向一揆攻略や、北畠氏滅亡後に伊賀で引き起こされた伊賀天正の乱等では、たとえ相手が民衆であろうと、女、子供であろうと、容赦なく殺し、敵は根こそぎ叩くという手法を取っている。伊賀天正の乱など、功を焦った伊賀の織田信雄(当時は、北畠信雄)が勝手に伊賀に侵攻を企てて、最初は協力していた伊賀衆のはしごを勝手に外す行為を取ったことで招いたもので、それが日本史史上類を見ない大量虐殺に繋がってしまった。(といっても、日本史の教科書では出て来ない話なのだが。)信長の次男・信雄というのは大変なうつけだったというのはよく聞くが、信雄が伊勢・伊賀でしでかしたことをこうして拾ってみると、そのバカっぷりが際立っている。 三重県出身である歴史研究者としての思い入れがちょっと強く出すぎのようにも思うが、本書を読むと伊勢や伊賀の人々にとって信長の天下布武はいい迷惑だったことは容易に想像ができる。著者に限らず、三重県民全体が信長、秀吉のこと、相当に嫌いなんだろうなぁ。
織田信長の「天下布武」を軸に、政治・軍事的な戦略の要地であった伊勢・伊賀を舞台に活躍した伊勢国司北畠具教、志摩水軍九鬼嘉隆、蒲生氏郷、藤堂高虎ほか、戦国武士団の興亡を描く。
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『信長と伊勢・伊賀-三重戦国物語』
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