幽霊(4)
ドアのすり抜け方は、身体が覚えたようで、信也君の後について中に入ることができた。
「来たよ」
信也君の話している相手は、子どもの頃見た、カブトムシの幼虫のようで、手脚のようなものは無く、身体全体は太く丸みを帯びている。それが妙な具合にくねくねしながら、バランスを取って立っている。その身体全身に吹き出物のような突起が無数にある。それを胴体とするなら、その先端が頭になるはずだけど、とてもそんな風には見えない。イボイボの突起が少し長く大きくなって、その中に眼球らしきものが見える。カタツムリの角にも見えるけど、もっと気持ち悪い。どこかに人間に共通のパーツを探したけど、そんなものは何一つ無い。どう見ても、気味の悪い生き物としか言いようが無い。生き物だと思うのは、長く伸びたイボイボ突起の目を器用に動かして、私を上から下まで舐めるように見たからだ。なんだか私の身体にまでイボイボができてしまいそうな気がする。
「もう来てくれないかと思ったわ。一緒にいる人は、さっき飛び出した人ね」
口はどこにも見当たらないのに、声だけが聞こえる。
「どうしてそんな姿なの、あなたはここで死んでいる女の人でしょう?」
勇気を振り絞り、視線を合わせないようにして訊いた。ギリシャ神話に出てくるメデューサなら、視線を合わせたら最後、石にされてしまう。
「そうよ、誰も引き取りに来てくれない女なの。私が死んだって誰も悲しまないし、誰も知らないわ。自殺したの。私にだって華やかな時もあったし、人生がバラ色に思えたこともあったわ。でもね、そんなの束の間でしかなかった。気がついたらたった独りで生きていたの。親も兄弟もいないわ。一緒に喜んだり涙を流したりする人もいないわ。お金は沢山あったけど、使えば使うほど悲しくなった。だから飛び降りたの。あれって、発作的って言うのよね。気がついたらこんなところにいて、やっぱり独りだったわ。何でこんな姿なんだろうって思ったけど、生きてる間も中身はこんな姿をしていたのね。今はそれがよくわかるの。だから独りぼっちになったんだと思う」
声は寂しそうだが、身体はくねくね動き気持ち悪い。何か魂胆でもあるのかも知れない。
「名前はなんて言うの?」
怒らせないように、用心深く優しい声で訊いた。
「横山光子って名前で三十八年生きたわ。両親が死んでね、二十歳から独りぼっち。寂しいのは慣れたけどね、宝くじが当たってからなんだか変になったのよ。三億よ、最初は夢みたいで、綺麗なマンション買ってやりたい放題。ホストクラブにも随分通ったわ。でもね、お金に群がる男ばっかりで、もう、うんざりよ。夢が全部叶うとね、ホントつまらないのね。でも叶わなかった夢が一つあったわ。愛する彼かしら。近づく男はみんなお金見当てに思えて誰も信用できなくなったわ。仕事しなくたって生きていけるし、毎日遊んでいればいいのよ、夢見た生活だったけど、こんなつまんない生活だとは思わなかった。人生はお金じゃないって言うのはね、お金を持ってみないとわかんないものよ、ホント皮肉な話よね。で、気がついたらこの有様よ。この姿、何とかならないかしら」
光子という女は、気持ち悪い眼をくるくる動かしながら言った。よほど話し相手が欲しかったみたいだ。
「こんなところにおったか」
天井から声が聞こえた。
「さっきのお爺さん?」
「そうじゃ、覚えててくれたか」
嬉しそうな声が若々しい
「まだ極楽に行ってないの?」
「お節介な医者が蘇生させよった。はた迷惑なことをしてくれる。おかげで婆さんは泣いたり喜んだり大変じゃ。本当は早く死んでくれって思うとるかも知れん。わしは何度婆さんの涙に騙されたことか、女は幾つになっても演技が上手いもんじゃ。それどころか、年々磨きがかかってきとるわい」
お爺さんは、そう言って天井から首を伸ばして言った。身体が時々揺らめくように見えるのは、生死の境を彷徨っているのかも知れない。お婆さんの側にいてあげればいいのに暢気な爺さんだわ。
「何しに来たの?」
そう言いながら天井を見上げると、さっき見た皺くちゃの顔が少しすっきりしている。
「なあに、暇なだけじゃ。ところで誰か、極楽へ行く方法を教えてくれんかのう」
「そんなのどこにも無いと思うよ」
信也君が言った。
「ガキのくせに知ったような口を利くな。わしは子どもの頃から極楽の話を何度も聞いたぞ。お花畑があって、綺麗な女人がいて、美味い酒が飲めるらしい」
老人は本気で信じているみたいだ。