中村 天風(なかむら てんぷう)
1876年7月30日~1968年12月1日享年92歳
本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。
日本の思想家、実業家、諜報員。
日本初のヨーガ行者で、天風会を創始し心身統一法を広めた。
1876年(明治9年)大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子として
豊島郡王子村(現東京都北区王子)に出生。
父の中村祐興(なかむら・すけおき)は旧柳川藩士で、中村家は柳川藩藩主である立花家と遠縁にあたる。
王子村や本郷で幼少を過ごした後、福岡市の親戚の家に預けられ、
修猷館(しゅうゆうかん)中学(現・修猷館高校)入学。
また、立花家伝を六歳の時より家伝の随変流の修業を始める。
随変流は立花宗茂を流祖とし、戦国時代に成立した流派で、剣術と抜刀術。
天風は後に随変流を極めることとなる。
ちなみに、「天風」という号は天風が最も得意とした随変流抜刀術「天風(あまつかぜ)」からとられたもの。
幼少期より英国人に語学を習い、修猷館では英語の授業を行っていたため語学に堪能となり、
柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、
その復讐を行う過程で出刃包丁を抜いて飛びかかってきた生徒を刺殺してしまう。
この件で正当防衛は認められたものの、修猷館を退学となる。
1892年(明治25年)に玄洋社の頭山満(とうやまみつる)のもとに預けられる。
天風は玄洋社で頭角を現し、気性の荒さから「玄洋社の豹」と恐れられた。
16歳の時に頭山満の紹介で帝国陸軍の軍事探偵(諜報員)となり満州へ。
大連から遼東半島に潜入し錦州城、九連城の偵察を行った。
日露戦争が迫る1902年(明治35年)に再度満州に潜入、松花江の鉄橋を爆破したり、
仕込杖で青竜刀を持った馬賊と斬り合いを演じるなどの活躍を見せ「人斬り天風」と呼ばれた。
1904年(明治37年)3月21日にはコサック兵に囚われ、銃殺刑に処せられるところを、
すんでのところで部下に救出された。
その後天風は様々な危険を乗り越え、無事目的地の大連に到着。
日露戦争に備え、放たれた軍事探偵は合わせて113名であったが、
そのうち生きて大連に到着したのはわずかに9名であった。
戦後は帝国陸軍で高等通訳官を務める。
1906年(明治39年)
奔馬性(結核の症例の中で、急速に症状が進む。現代では「急速進展例」と呼ばれる)の肺結核を発病。
北里柴三郎の治療を受けたものの病状は思わしくなかった。
1909年(明治42年)にオリソン・スウェット・マーデン『如何にして希望を達し得るか』を読んで感銘を受け、
病気のため弱くなった心を強くする方法を求めアメリカへ渡ることを決意。
しかし結核患者には渡航許可が下りなかったため、親交のあった孫文の親類に成りすまして密航する。
アメリカに渡った天風はオリソン・スウェット・マーデンを訪ねたが相手にされず、願いは果たせなかった。
当時アメリカ公使館に勤めていた芳澤謙吉の勧めで哲学者カーリントン博士に面会、
華僑の学生に代わって授業に出席したのをきっかけにコロンビア大学に入学。
自らの病の原因を尋ね自律神経系の研究を行った。
ヨーロッパではイギリスでアデントン・ブリュース博士に面会。
フランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候する。
ドイツでハンス・ドリーシュと面会。
数々の著名人を訪ねるが、納得の行く答えを得ることができなかった。
1911年5月25日に日本への帰路に就く。
その途中経由地であったアレキサンドリアにてインドのヨーガの聖人であるカリアッパ師と邂逅。
そのまま弟子入りしヒマラヤ第3の高峰カンチェンジュンガ山麓にあるゴーク村で2年半修行する。
この修行を通じて結核は治癒し、さらに悟りを得るに至った。
1913年にインドを立ち日本へ。その途中、孫文の起こした第2次辛亥革命に巻き込まれ、
そのまま「中華民国最高顧問」として協力。革命は挫折したものの、その謝礼として財産を得た。
実業界から導師へ
帰国後は時事新報の記者を務め、実業家に転身。
東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任し実業界で活躍した。
1919年(大正8年)5月のある日、頭山満(とうやまみつる)に代わって公演を行っている最中に
突然感じるところがあり、頭山に相談し、一週間で一切の社会的身分、財産を処分。
1919年6月8日に「統一哲医学会」を創設。
街頭にて心身統一法を説き始める。その後、本部を芝公園内に設置。
その後
統一哲医学会は発展し、政財界の実力者も数多く入会するようになった。
1940年(昭和15年)には「統一哲医学会」を「天風会」に改称。http://www.tempukai.or.jp/
1962年(昭和37年)3月には国の認可により「財団法人天風会」となる
http://www.tempukai.or.jp/web/top.html
1968年(昭和43年)12月1日に天風は92歳でこの世を去った。
墓所は東京都文京区大塚の護国寺にある。
2011年(平成23年)には内閣府認定の公益財団法人に移行した。
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