10年ぐらい前に書いたエッセーです。
職場から依頼を受けてちょこちょこっと書いたのですが、意外と好評でした。
一人でタイ旅行をしてきたのですが、一人旅は自由で、何をするわけではありませんが、気楽でなんか良かったです。
若かったころの思い出ということで(笑)
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『タイ旅行記点描(サムロー親父)』
スコータイはタイの首都バンコクから北側に、バスで七時間ほどの場所にある。世界遺産にも登録されたスコータイ遺跡が有名だが、街から少し離れており、訪れるには足が必要だ。
地元の人もそのことをよく分かっており、バスから降りるとタクシー運転手たちがわれ先にとお客を狙って近づいてくる。
そのなかで、僕はサムローという小型バイクのエンジンに無理矢理台車をくっつけたような車を借りることにした。車体は青色で、天井にタイ国旗をつけている。運転手はネズミ男を褐色に染めたような四十代後半をおぼしき親父だった。勝手にサムロー親父と名づける。
僕が乗り込むと、サムロー親父は軽快に車を走らせ始めた。推定時速三十キロほど。順調に普通乗用車に抜かれ続ける。エンジンが唸りを上げるたびに、フロントガラスとボンネットが別々に振動する。よく見ると、繋がっているはずの部分に隙間がある。妙に天井が揺れていると思ったら、フロントガラスとの繋ぎ目をガムテープで補強している。
サムロー親父は英語とタイ語をブレンドした異国情緒たっぷりの言葉で話しかけてくる。何を言っているのかよく分からないので、適当に相づちを打つ。それでも親父は満足そうだ。
そんなこんなで、十四キロの道のりを三十分ほどかけて遺跡に到着。こんなボロ車でよくたどり着いたなと一安心したら、遺跡を回り始めて二箇所目で壊れた。エンジンが掛からない。親父は出っ歯を僕に見せてながら、「ちょっと待って」と修理を開始。有名な遺跡とはいえ、端の方だと人気がない。不安感が微妙に高まってきたところで、サムローのエンジン音が聞こえてきた。タイ人はたくましい。
その後、サムローは順調だったが、遺跡めぐりの途中で親父が堀に手を突っ込み、貝取りに夢中になって待たされる。これが夕食のおかずらしい。小さい貝は堀に返すのが自慢らしい。いいからはやく出発してくれ。日が暮れてきた。
大漁のおかげか、帰路のサムロー親父はゴキゲンだった。出っ歯だけでなく、シャツをたくしあげて腹まで出す。これは親父の癖らしい。途中で大雨になったが、サムローは力強く推定時速三十キロで街を目指して走り続ける。
*ちなみに半日ほどで四百バーツ(日本円で千二百円)だった。交渉すれば下がると思う。
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このエッセーでは触れませんでしたが、タイ旅行直前に数年ぶりの洪水があり、スコータイの水田はほぼ水没していました。平地のため水の流れはまったくなく、一見すると広大な湖です。
道路も半分ぐらいは水没して、辛うじて1.5車線分だけ顔をだしていたので、そこを分け合いながら進むような状態でした。遺跡も水没した箇所がちらほらと。
サムロー親父がいうには、1週間前は道路も完全に水没していたとのこと。
タイの洪水は、規模も時間感覚がまったく違うなあと、実感しました。
ちなみに地球の歩き方にはお世話になりました。
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