収容所から来た遺書
辺見じゅん著、
1989年第1刷だから、24年前、古い本である、
以前の同僚から勧められ、
取り急ぎ読んだ、
丁度、風邪で体調不良も有り、
一日何処へも出かけず、
読み切った
内容は、戦後のシベリア抑留の物語、
最初は、淡々と抑留生活の悲惨さを訴え、
その中で抑留者がどのように対応していくのか、
実際にヒアリングした結果であろうストーリーを、
語っていく、
後半、この本の主人公となるべき人が、
死に直面し、遺書を書くことになる、
その遺書の内容が凄まじい、
母、妻、子への思いが綴られ、涙無くして読めない、
物語の最後は、その遺書が、
どの様な手順で伝えられて行ったかが、
事実を基に語られる、、、、、、
確かに感動を呼び、
この悲惨な戦争体験を、どのように、
後世の人達が引き継ぎ活かしていくのか、、、
今の我々世代は完全に忘れ去ろうとしている現状を見て、
考えさせられる一冊であった
加えて、個人的に興味あることが、、、
私は以前、ロシアで仕事をした事がある、
タタルスタン共和国のカザン(カザニ)という所である、
そう、つい先日、
タタルスタン航空が着陸に失敗し、
50名が亡くなった事故を起こした場所である
この国内航空会社の飛行機にも乗って、
モスクワ-カザン間を行き来したものだ、
当時、本社の方が、
このカザンに来られた時に、抑留者の慰霊碑が近くにあり、
帰国前にお参りするような話をしていたが、、、
当時は全くの無関心で、聞き流していた、
今回の著書の中の地図を見ると、
間違いなく、このカザンの近くに収容所があったようだ、、、
私が初めて、-25℃を体験したこの地で、
強制労働をさせられていたのだ、、、、
その様な事実を、
日本人の殆どの人が知らない、忘れ去られている、
これをどう考えたら良いのだろう、、、
今の繁栄をただ黙って感受している
現在の我々、、、
これは国として何かを、日本人の心を残す、
手だてを考えなくては、、、
と思うのだが、、、、
後一つ、瀬島龍三がこの本にも登場する、
瀬島龍三:
(1911年-2007年)
陸軍士官学校次席、陸軍大学校首席で卒、
戦争中は大本営作戦参謀、陸軍中佐、
戦後、伊藤忠商事会長、、、
戦争中は、陸軍の主要な軍事作戦を作戦参謀として指導、
・南方作戦におけるマレー作戦(E作戦)・フィリピン作戦(M作戦)や、
ガダルカナル撤収作戦、ニューギニア作戦、インパール作戦、
台湾沖航空戦、捷一号作戦、菊水作戦、決号作戦、対ソ防衛戦など
要は敗戦要因を作り上げた一員であった、、、、
敗戦時は関東軍参謀であり、ソ連との停戦交渉をした軍使であった、
・その後シベリアに11年間抑留される
シベリア抑留から帰還後、1958年伊藤忠商事に入社、
3年目に業務部長、4年目には取締役、半年後常務、、、、
繊維を扱う一商社を総合商社に発展させる辣腕をふるった人、、、
その後、中曽根政権のブレーンとしても活躍
しかし、彼は常に灰色なのである、
・戦争中、台湾沖航空戦で戦局不利な情報を握り潰し、戦争を拡大させた
・ソ連はドイツ降伏から3か月後に対日参戦するという情報を握りつぶした
・停戦交渉時、関東軍がソ連によるシベリア抑留を了承していた
・ソ連抑留中に、共産主義者としての軍人教育を受け、特殊工作員として訓練された
・元警察官僚の佐々淳行は、瀬島がKGB工作員と接触したと述べた
等々、
作戦参謀という立場から、戦争拡大責任を問う声、又ソ連との密約等、
又その後の財界での活躍からのやっかみ?
しかし、
・11年間のシベリア抑留は事実であり
・シベリア抑留からの帰還後、自衛隊への勧誘を断り、
復員兵の就職斡旋に奔走したのも事実であるようだ
いずれにしても、
彼が何も語らずして亡くなったので、
戦中、戦後の種々の疑惑は闇に葬り去られたのである
このようにして、
不幸なる日本人は、
あの戦争体験から、何も得ることなく、
全てを忘れ、
今の享楽的な生活に、
己を埋没させるのであろう、、、、
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