<どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いて下さるように。(17節)> ネットには「エフェソスは、紀元前16~11世紀にかけて、ギリシャから移住してきた人々が建てた町で、アルテミス神殿を中心に繁栄したが、前7世紀にキンメリア人によって町も神殿も破壊された。再建したものの、ペルシャの王やアレキサンダー大王によって東方文化と融合したギリシャ文明の都市として発展した。 アウグストゥスの時代(紀元前27年)には、ローマ帝国のアジア州の都として、広大な帝国内でも5本の指に入る大都市となっていた。しかし、港が浅くなって使えなくなり、アルテミス信仰も力を失い、ゴート族の攻撃を受け衰退していった。」と記されていた。 また「パウロの時代には港が徐々に活気を失いつつあったが、それでも荘厳なアルテミス神殿がある美しい都市で、神殿には女神が送ったとされる隕石が御神体として置かれていた。何百人もの娼婦が神殿に仕え、商人は女神を崇める様々な宝石や指輪などを売っていた。」とあった。 今も大劇場、闘技場、神殿、浴場、図書館など町ごと遺跡として残っている。パウロはおよそ3年間エフェソスで宣教した。 使徒言行録19.20章にはパウロがエフェソで人々に告げ知らせた時の様子が記されている。それによると、最初パウロの宣教活動は実りあるものだったが、女神アルテミスを崇拝していた人々との間に騒動が起こった。町の指導者によって群衆は静まったものの、パウロは町を去るのが最善の策だと思い、長老たちを勇気づけてこの町を去った。 港は年々浅くなってゆき、大きな船がエフェソを避けるようになった。活気に満ちていた港に人声はなくなり、町全体が希望を失い始めていたころ、パウロが新しい希望を人々に告げ知らせていった。すがる思いで、利を求めて人々は主を信じる者となった。 けれどやがて、主が利をもたらすお方ではないと気付き、再び女神アルテミスに助けを願った。・・・エフェソのことはともかく、日本の戦後のキリスト教会の姿だ。 パウロはひとつになれない教会に手紙を書いた。
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