【源氏、女三の宮を娶る】
源氏の異母兄にあたる朱雀院の三女「女三の宮」と源氏の物語です。
源氏も『藤裏葉』の最後のほうで出家したいとか何とか言っていますが、源氏物語が書かれた時代には末法思想が流行していた影響でしょう。藤壺も空蝉も、(源氏が無理無体に言い寄ったため?)世をはかなんで出家しています。『若菜』は、朱雀院のこの出家問題から始まります。
朱雀院の出家には、その三女である「女三の宮」の存在が後顧の憂いとなります。他の子供達は立派な後ろ盾がありますが、女三の宮にはこれが無く、出家すれば落ちぶれるのではないか、変な虫が付いて苦労するのではないかと、というのが朱雀院の心配のタネです。ここはひとつ、三宮をしっかりした男に片付けて、安心して出家しようと、朱雀院は三宮の相手を物色します。
兵部卿の宮(源氏の弟)、藤大納言(太政大臣の異腹の兄弟)、太政大臣の嫡男右衛門の督、中納言(源氏の息子)など候補をあれこれ思案しますがどれももうひとつ。ここで源氏が浮上します。源氏は準太上天皇の位にあり、権力財力とも十分で女三の宮の相手としては申し分ありません。おまけに紫上とは正式に結婚していませんから一応独身。源氏と結婚させてしまえ、となります。
源氏39歳、三宮13~4歳、おまけに叔父と姪の関係ということもあって、源氏も三の宮との結婚は渋りますが、病気で明日をも知れぬ朱雀院のたっての願い。かつ
三の宮の御母君の女御は、その藤壺の宮の姉妹でおわしたのだったな、たしか。
あらぬ興味も湧き(紫上も藤壺の姪)、結局源氏は朱雀院の頼みを引き受けてしまいます。気の毒なのは正室同様の紫上。
〈今までこうやって仲良く暮らしてきたのだから、もう自分の地位を脅かす者もあるまいと、我が身を思い上がって、屈託もなく過ごしてきた私たちの関係が、こんなふうに人の笑い物になるなんて……〉と、紫上は内心に思い続けていたけれど、うわべにはただおっとりと穏やかに過ごしている。
かたや三の宮は、
源氏に対面したとてなんの恥じらうでもなく、まるで頑是無い子供が人見知りせぬような具合で、ただただ気安くかわいらしいだけの様子まるで自我がないかのごとく、源氏の言うままに、なよなよと靡き従うばかり
と魅力の乏しい女性として描かれ、源氏は
あまりに張り合いもなにもないような幼弱さに、がっかりとして眺めている
他はないわけです。朱雀院のたっての頼みであり断りきれなかったのでしょうが、三の宮が藤壺の姪であるという「好き心」に動かされて結婚したことも事実で、自業自得。
ここでは、紫上の女性としての素晴らしさが語られ、
たった一夜、床離れて過ごして、その朝の来る間までの短い時間だけだって、ただもう紫上が恋しくて、気にかかって、いよいよますます愛情が増してくるのを、源氏は自分ながら不審に思う
と、紫上を如何に愛していたかを思い知らされます。源氏といえど、世の中は思うようにはいきません。
【源氏、朧月夜と再会す】
いきませんが、そこは源氏、朱雀院の姫君が駄目なら、朱雀院の寵姫「朧月夜」がいる!となります。朧月夜は、朱雀院が東宮の頃その后になる予定だったのです、源氏との事がバレて潰えた女性です。彼女が尚侍となった後も密会を続けていたため、源氏は須磨に蟄居するということになった「曰くの」女君です。
源氏は、もとより思いを深くかけて飽き足りぬ思いのままに別れた御方であったから、何年経っても面影忘れがたく、
朱雀院は出家したのだから、「もういいだろう」というわけです。本領発揮ですね。中途半端に終わった恋が再び燃え上がります。源氏を読みだした頃は、この源氏の好色ぶりに辟易していたものですが、この頃は応援したくなるのですから不思議なものです(笑。
まずはラブレターを出します。が、朧月夜は拒絶。一応「断り」の返事は来ますから、その文面筆跡を見ている間に恋心抑えがたく、昔手引をさせた女房・中納言の君を再び抱き込み
じつはな、あの御方に、人を介してではなく、障子や御簾越しにでも直接お話ししなくてはならぬことがあるのだ。そこで、そなたから、上手に申し上げて、なんとかこの段をご承知いただいたうえで、ごく隠密裏に参上いたしたいと思っている
相手は準太上天皇ですから、「またぁ」と分かってはいても断れません。玉鬘と髭黒の時も女房が仲立ちをしていますから、常套手段なのでしょう。
秘密を守ってくれれば、私も安心、そしてそなたも今後なにかと良いことがあろうぞ
ですから笑います。朧月夜の拒絶に対しては、
朱雀院のお上に対して、いかにも後ろめたいようではあるけれど、そんなことを申せば、昔だってお上を差し置いてこっそりと逢うていたのだから、今になって、口を拭って潔白らしいことを申したとて、いったん立ってしまった浮き名を、いまさら取り返すすべもあるまいものを
と源氏は勝手なこと考えています。まぁそれはそうなんですが、源氏ともあろう者がこう言っては品格がありませんね。女三の宮の出現で紫上との愛を再確認したはずなのですが、源氏は昔の恋人「朧月夜」の邸に通うことになります。三の宮の件もあって、紫上にはいつも以上に遠慮し、
末摘花がな、このごろどうもお具合が悪くて...(源氏)〈変だわ。いつもほっぽり出しで、全然気にもかけておいででない御方だというのに……〉 そう思って、つらつら考えてみれば、〈どうもこの頃、あの朧月夜の君のところへ、しきりに文など遣わしているらしい……〉と思い当たる(紫上)
今回もきっちりバレています。
けれども、女三の宮の降嫁のことがあって以来は、なにごとも以前のように源氏を深く信頼する気持ちにもなれなくなっているので、今もまた少し隔てを置く心が出来て、あえて見て見ぬふりをしている。
今までと違って、紫上の気持ちは源氏から離れつつあるようです。これまでも源氏の浮気はあったわけですが、どうせまた私のもとに帰ってくる筈と余裕を持っていた紫上がこう考えるのですから、源氏も見放されつつあるのでしょうか。
と、紫上の思いをよそに中納言の君の手引で朧月夜の寝所に忍び込みます。15年ぶりの再会が果たされます。
朧月夜の尚侍その人の声とおぼしくて、しきりとため息を吐きながら、それでも端に近いところまで躙り出てきた気配がある。 〈ふふふ、やはりな……こういう押せば靡く心弱さは、昔のままだ〉と、源氏はそんなことを思っている。もとより、かつては相思相愛で情を交わしあった男と女である。戸障子越しで互いの姿こそ見えぬけれど、ただ身じろぐ気配だけで、そこにいる女の肢体が、源氏には手に取るように分かり、男の心のなかには安からぬ思いが沸き起こる。
出ました、リンボウ先生得意の「ふふふ」です。
「ただ身じろぐ気配だけで、そこにいる女の肢体が、源氏には手に取るように分か」るとは、なんとまぁ艶めいた表現ではないですか。さすが、紫式部は男というものをよく分かっていらっしゃる。しかし、1000年前の小説とはとても思えませんねぇ。艶めいたついでにもう少し、
朝になって、十五年ぶりに再会した朧月夜は、その垢抜けた美しさといい、若々しく親しみ深い様子といい、昔とちっとも変わっていない。それが、世の聞こえを憚っておろおろとしつつ、といって、嬉しさも嬉しいしで、心は千々に乱れ、ただただため息ばかり吐いている。 そんな女の様子を見れば、源氏も、今初めて逢瀬を遂げるよりも新鮮な思いに胸は波立ち、無我夢中で抱き寄せる。
いかになんでも、もうすっかり明るい時分になっては、源氏は帰らなくてはならぬ。 が、女は、どうしても床から起き上がることができぬ。
何故に「床から起き上がることができ」なかったのかは、聞くだけヤボかもしれません。源氏の「朝帰り」を、紫上は〈おおかた、こんなことだろうと思った……〉と察しがつくわけですが、この方は賢いですから何も言いません。バレたな、と思った源氏は
きのうは尚侍の君に久しぶりにお目にかかったけれど、なにぶんとも障子を隔てての対面であったからね
と誤魔化しますが、
紫上は、ふっと笑うと、 「それはまたずいぶんと今どきの者のように若返ったお振舞いですね。昔の恋を、ただ今の恋の上に付け加えようというおつもりがあるのは、そのどちらでもない宙ぶらりんのわたくしには、ほんとうに辛く……」 そう言いながら、たちまちに涙ぐんだ。
源氏の「四十の賀」や明石の姫君に若君が生まれたり、話題は多いのですが、
いちいち語り続けるのも煩わしく、また面倒なことどもゆえ、省く (紫式部がよく使う手です)。
【衛門の督の登場】
太政大臣の息子の「衛門の督(かみ)」と三の宮の関わりです。衛門の督は、朱雀院が三の宮の聟を選ぶにあたってその候補のひとりでした。衛門の督は十分その気になっていたのですが、結果的に源氏に取られ、なお諦めきれないでいます。源氏の心が紫上の上にあり、三の宮の上に無いことを聞くにつけ
あの源氏の大殿とて、もとよりご出家のお志深いと聞くのだから、もしそのご本懐を遂げられた暁には、この私が……〉などと、抜け目なく考えては、諦めずに機会を窺っているのであった。
これはそのまま、朱雀院の出家を狙って朧月夜に近づいた源氏の思いと同じです。そんな折り、蹴鞠の催しで事件が起きます。蹴鞠の催事の最中、それを見物していた三の宮の御簾が猫によって外れ、内部があらわになります。衛門の督は三の宮の姿を見てしまうのです。
以前からあれほど心に思いを込めている衛門の督ともなれば、胸がぐっとふさがってしまって、〈あれこそ、三の宮以外に、他の誰であり得ようぞ、これほどたくさんの女たちのなかに、一人だけそれと目立つ袿姿……これはもう他の人と紛れようもなかったお姿よな……〉と、心にかかって忘れ得ぬ。
かねがね不思議に思っているのですが、この頃の恋愛というのは、噂を聞いて恋に墜ちる(あるいは通ってゆく)のですね。『夕顔』では童女が現れて、香を焚き込めた白い扇に夕顔の花を乗せて源氏に差し出し、源氏は夕顔の元通ってゆくことになります。源氏は夕顔の姿形を見ていません。ですから、『末摘花』の失敗が起きたりもするわけです。『空蝉』でも、通って行った朝になってその顔を初めて見ています。男女の語らいも御簾越しであり、どうも女性が男性の前に姿を晒すというのははしたないことだったんではないかと思います。
で、衛門の督も噂だけで三の宮を恋い焦がれていて、この日初めてその姿を見たわけです。三宮は、蹴鞠をしていた公達に姿を見られたこと知って
かような不注意で人に姿を見られてしまったということの落ち度の重要さを思うのでなくて、まっさきに源氏に叱られるということを思った
とあります。そういえば、『野分』では、源氏は紫上の姿を息子の中将(当時)に見られたのではないかとひどく気にし、見てしまった中将は紫上が忘れられないという話が出てきました。
三の宮の姿を見て、ますます想いの募る衛門の督は、三の宮の乳母子の小侍従の許へ恋文を遣わします。ラブレターに住所氏名は書きませんから、何処の誰か知れませんが、こんなの来ましたようと小侍従は三の宮に手紙を見せます。「まぁいやらしい」と言ったかどうか分かりませんが、三の宮は返事(返歌)も書きません。
源氏と朧月夜の仲を取り持ったのも女房ですから、貴族社会の裏事情というのは女房たちがしっかり握っていたのですねぇ。確か、帝が源氏の子供であることを知っている数少ない人物に、藤壺付きの女房がいました。紫式部も女房ですから、こうした貴族社会の裏事情というのをたくさん知っていて、その裏事情の集大成が源氏物語なのかも知れません。
そういえば、恋文の返事を女房が代筆することがありました。今回も、小侍従が代筆します。
いつぞやは、こなたのお庭へおいでになって、わたくしがそこにいたのに、そしらぬ顔をなさいましたね。わたくしは、かねてから、あなた様ほどのご身分で宮様への懸想など、まことに無礼なことと、お許し申さずにおりましたが、それを、『見ずもあらず』とやらなんとやら、なんということでございましょう。まったく嫌らしいことを
いやぁ、キツイ書きようです。
さぁ、衛門の督の道ならぬ恋はどうなるのか?再会を果たした源氏と朧月夜、正妻の座を降り、今また源氏の浮気で悩む紫上は...(ちびまる子ちゃん風に)後半へ続く!。