「そういう怨霊説には、俺は乗りたくないんだが、今回のことでは、もしかしたらって、気にもなるよな」
悩ましげな顔で毛利が言った。
「警部、加害者の吉本敦子と辰夫、それに高木洋介がいずれも石田三成の縁者で、被害者の福本洋平と沢口絵里香がおねさんの縁者。 つまり、関ヶ原の怨念がめぐりめぐって今回の事件を引き起こした、ってことになるんですね」
下座から、香取が言った。
「まあ、そうだな。 辰夫は、その両方の血を引いてるけどな」
毛利の顔は、さらに悩ましげになった。
「先輩、先輩はよっぽど、ロマンがきらいな人なんですね。 四百年前の怨念が引き起こす事件、おっとろしいようなストーリーですけど……私は、なんかロマンを感じますね、ちょっと不謹慎かもしれませんが」
「へえー、唐沢さんって、ロマンチストなんですね。 実は、私もそうなんです」
香取が言った。
「ああ、それで、お前、神社仏閣めぐりなんかに、のめりこんでたんか?」
桜井が訊いた。
「はい、長い歴史を刻んだ古刹を訪ね歩く。 これって、最高にロマンチックだと思います」
「ふーん、お寺にロマンがな、まっ、いいやろ、それも確かにロマンやな、アッハッハッハ」
桜井が笑うと、香取は複雑な表情になった。
佑太は、桜井の笑い声を聞きながら、ふと、神仙苑で毛利から聞かされた、吉本辰夫の最後を思い出していた。
〈吉本辰夫は、あの法成橋の上で、雷雨の中、傘もささず、立っていた。 雷が落ちるかもしれないのは、想像できただろうに。 もしかして、雷が落ちるのを……黄金の龍が降りて来るのを、待っていたのか? あの橋を渡る時、何か願いを念じると、池に棲む善女龍王にそれが通じて、願いが叶う……そんな言い伝えがあると、杏子が言ってたけど……辰夫は、龍に向かって、何か願いをしたんだろうか? 最後の時に、龍の姿を見たんだろうか?
辰夫は、自分の中で、福本家と吉本家という関ヶ原以来の仇敵の血が混じっていることを知っていたのか? いや、そうは思えない。 辰夫は、事件の中心人物だったが、ほんとは、地脈の乱れの犠牲者じゃないのか。 いずれにしても、これで、京の地脈の乱れは治まったことになる。 そして、それは、斎王の力によるもの。 これで、伊勢で、老女に頼まれた僕らの仕事も終わったようだな〉
佑太の考えがそこまで及んだ時、袖を引くものがいる。 見ると、杏子である。
「あれは、鴨川からでしょうか?」
「あれって?」
「ほらっ、聞こえるじゃないですか、さらさらと、心地の良い音が」
杏子が、開け放たれた座敷の縁先の方を見ながら、佑太の耳元で小声で囁く。 座敷は、酔った桜井と口達者の唐沢が主役となって盛り上がり、踊りでも始まりそうな様子である。 座敷の外へ関心を向けているのは佑太と杏子の二人だけだ。
佑太は、耳を澄ませた。すると、川面を渡る四月の風に乗って、せせらぎの音が聞こえてくる。それは、さらさら、さらさらと涼やかだった。
佑太と杏子には、それが、古都の地脈の乱れが鎮まり、怨念に彩られる鴨川の流れに、ようやく安らぎが戻ったことを喜ぶ、水の精の笑い声のように思えた。
了
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