第二章(十)
「そんな子供だましなんか怖くねぇぞ!」
もう一度天井に向かって怒鳴った。テーブルが小さく動きガタガタ音を立て、家中の柱が悲鳴を上げるようにきしみ始めた。数匹のムカデが俺に向かって落ちてきた。そのムカデを灰皿で潰し膝を立てて身構えると、翔子がゆっくり立ち上がり俺を指さした。
「ムカデとカマドウマに食われてしまえばいいわ」
翔子は、低い声で俺を睨みながら言った。ムカデが翔子の足に取り付き、身体をくねらせながら上へ登っていく。
「翔子、何を……」
俺は翔子と視線が合い、背中に冷たいものが走った。声が出ない。翔子がゆっくり近づいてくる。
「死ねば…いいのよ」
陽子と同じだ。操り人形のように動きがぎごちない。操られているとわかっていても、翔子の眼に宿っている光は、俺の心臓を凍らせてしまいそうだ。翔子は、俺の眉間にピタリと照準を合わせていた指先をゆっくり動かし、縁側に向けた。
「カーテンを……開けるのよ」
翔子が命じ、俺は言われるまま、翔子を見ながらゆっくりカーテンを開けた。異様な気配を感じる。
「ぎゃー!」
俺は尻から床に落ち、倒れ込んだまま起き上がれない。ガラスの向こうに首と胸から血を流した若い女が立っている。端正な顔立ちだが、首は今にも胴体から離れて落ちてしまいそうだ。全身が泥まみれで、胸には乳飲み子を抱え、隣には小さな女の子が血の付いた鎌を持って立っている。二人の子どもも首から血を流し同じように胴体とずれている。まるで墓場から這い出してきたようだ。清太郎が殺した親子に間違いない。
まるで蝋人形のように動かないが、真っ黒な節穴のように見えるその眼は間違いなく俺を見ている。光のないその眼は、底知れぬ怖ろしさを感じる。俺がどれほど精神を強く持ったとしても何の役にも立たない。俺の近くに来るだけで心臓はあっという間に動きを止め、呼吸も出来なくなってしまいそうだ。親子はゆっくり動き始め、ガラス戸に近づいてくる。俺はまるで金縛りになったように、声も出せず身体も動かない。目に映るのは血を滴らせながら近づく親子だけだ。それ以外には何も見ることができないし、助けを求めることもできない。女はガラス戸を通り抜けようとしたが、途中で動きを止め、その表情に憎しみを露わに見せ始めた。端正な顔立ちがみるみる崩れ、眼は吊り上がり、髪を逆立て、小さな口は耳の付け根まで裂けると、白い歯を剥き出して俺を睨んだ。
「わすれるでない……清太郎!」