第二章(八)
俺たちはリビングを諦めて、隣の部屋へ移動した。ドアをしっかり閉め、部屋の中にカマドウマのいないことを確認して真ん中に集まった。お袋は陽子の姿を見たのだろう、叔母さんに抱かれて泣いている。
「陽子どないしたん、なぁ、陽子どうなったんや」
翔子は子どもを抱きしめながら、叔母さんに訊いている。叔母さんは黙って首を横に振るだけで何も言えない。だけど何かが起き始めていることだけはわかる。時計を見るとまだ一時を過ぎたばかりで夜明けまでにはかなりある。リビングは直接外に面している部分があるけど、この部屋はそうではない。扉をしっかり閉めておけば、外から入られることはないはずだ。とにかくこの部屋で朝まで過ごすしかない。
窓を叩く音が消え、足音がゆっくり動き始めた。裏口から表へ移動しているのがわかる。玄関の前で止まった。
「お兄ちゃん、開けて! お願いだから開けて!」
先ほどの抑揚のない声とは違う。もしかしたら正気に戻ったのかも知れない。俺が立ち上がりかけると叔母さんが俺の手を引いた。
「もうちょっと様子を見てからでもええ、かわいそうやけど、信用できへん」
そう言って首を横に振った。お袋は耳を押さえて耐えている。
「お兄ちゃん、どうして入れてくれへんの? 助けてお兄ちゃん!」
陽子は同じように何度も繰り返したが、俺たちが黙っていると諦めて静かになった。陽子の足音が再び動き始め、家の周りをゆっくり歩いている。そして窓の所に来ると大きな音を立てて叩いた。
「開けろ! 荻野の長男を出せ! 開けろ! みんな殺してやる!」
とても陽子の声とは思えない。ドスの利いた太い声はみんなを震え上がらせた。ガラスを叩く音が大きくなった。
「ガラスが割られてしまう!」
俺が叫ぶと、
「人の手くらいではなんともない。女の一人暮らしやから、この家のガラスは全部防犯ガラスにしてある」
叔母さんはそう言って音のする方を睨んだ。音が止んだかと思うとまた別の窓を叩き始め、陽子の足音は何度も家の周りを廻った。ようやく足音が聞こえなくなったが、何をしているのかわからない。聞き耳を尖らせて周囲の様子を探ったが、部屋の中からではわからない。この部屋の外は縁側になっていて、その縁側は防犯ガラスのサッシが取り付けてある。縁側ならカーテンを開ければ様子を見ることができる。俺はゆっくり引き戸を動かし縁側へと行った。そっとカーテンを開けると、月明かりに照らされた前庭が見えるだけで陽子の姿はどこにもない。窓にカマドウマが飛びつき滑り落ちた。しばらくしてまた一匹、また一匹とだんだん増えていく。驚いて窓の下を見ると、カマドウマが足の踏み場もないほど集まってくる。何かに操られているように、次から次へと窓に体当たりをしてくる。俺が動くと俺の動く方にジャンプしてくる。俺を狙っていることは間違いない。もう一度辺りを見廻したが陽子はどこへ行ったのかわからない。