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加藤詩子氏著・一条さゆりの真実~虚実のはざまを生きた女~

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一条さゆりの真実.jpg 二十歳の頃、初めてストリップ劇場に行った。 知人に誘われて、恐る恐るの道行きだった。 到底独りで足を運ぶ勇気などあるわけがなかった。 そこは、大阪・新世界の劇場。 五十代後半だろう、所帯染みたオバちゃんストリッパーが、 右手を秘部に押しあて、それをネッチョリ開き、これみよがしに 開帳する。ニヤリと笑った口元からは、歯が何本か抜けていた のを、ぞっとしながら観た記憶しかない。 もう、その前後の事は、今となっては、すっぱり抜け切り忘れ去っている。 それから、数年後、大阪のTという劇場に、知り合いのライターと カメラマンに同行させてもらい、取材を通して表と裏の世界を 垣間見た。 千秋楽の楽日だったので、劇場の裏口には、情夫、ヒモらしき 男たちが群がっていたのを見た。金が目的だったのだろう。 楽屋では、赤ん坊に乳をやる母親ストリッパーもいたっけ。 表舞台では、男女ふた組の白黒ショーが演じられ、長い交接 に目を丸くして見ていた記憶がある。 後で聞けば、宗教道場の建設資金を貯めていた4人だったらしい。 とにかく、皆訳ありの演者ばかりだった。 見ている私には、助平心を噴出させる暇などなかった。 日常とは違う世界だったからだ、当たり前の話しだが。 <一条さゆり> 1970年初頭、一世を風靡したストリッパーがいた。 その元ストリッパーが、流れ着いたのは西成の釜ヶ崎というドヤ街だった。 有象無象の人間たちが息する街を選んだ。辛酸を舐めるに掻き暮れた 人生を振り返った時、彼女にとって当然の帰結だったのかもしれない。 心の安住の地にしたかったのはこの土地だったかもしれないが、次から次へと 問題を孕んだのも、この地だった。 1972年、引退興業の日、彼女は公然猥褻罪で逮捕される。 当局は、引退するのを判っていながらも默許してはくれなかった。 刑期を終えた足で、すぐにこの地、釜ヶ崎にやってきたわけではなく、 大阪で水商売や男たちを流転した。(春をひさいでいたこともあったようだ) そして、辿り着いたのが、この地だったのである。 屋台のママ、スナックのママ、そこに屯する酔いどれの男たち。 彼女を取り巻く登場人物は、釜ヶ崎ならではの世人たちだった。 彼女は、男なしの生活が出来ないほどの淋しがり屋であり、 男と関わることで、自己を確認していたのか、男枯れがなかった。 しかし、その男たちはどうしようもなく、一部を除いてほとんどが ポンコツの部類だった。 1988年、ある日、手伝っていた店で客来に応じていた時、知人だった男に ガソリンを浴び火をつけられ、大火傷を負う。 以降、後遺症に悩むが、この時点で何かが崩壊したのか、彼女の人生は どこまでも深い穴倉に落ちて行くような感じだったと、著者加藤詩子氏 は端倪する。 <加藤詩子氏> 1995年5月、阿倍野区の総合病院で、彼女と初めて会う。 加藤氏は、ストリッパーを追いかける当時二十歳代のカメラマンだった。 その縁で、伝説のストリッパーと称された一条さゆりに 会い、話しを聞き、カメラに収めるだけのつもりだったのである、当初は。 しかし、運命は、さらっと交差するだけには留めてくれなかった。 加藤氏は、それから彼女が亡くなる二年余りを共に過ごすことになる。 この著書は、彼女と過ごした歳月と、そこから苦悩して3年以上もの 年月を積み重ねて書き上げた、素晴らしい人間ドキュメントである。 一条さゆり、本名池田和子に出会ったばかりに、翻弄され、苦悩し、 葛藤し、傷つきながらも最後まで彼女を見届けた、いや、見届けざる運命を 素直に受け止めた加藤氏に私は興味を持った。 一条さゆりの性.jpg 一条さゆり・裸の人生.jpg <一条さゆり> 当時売れた駒田信二著「一条さゆりの性」孝学靖士著「一条さゆり・裸の人生」 による著述が、より一条さゆりというストリッパーを悲劇の芸人に仕立て上げた。 それらの書物によると、、、、 1937年6月10日、埼玉県川口市で生まれる。 実母を早くに亡くし、再婚した父親の相手、つまり継母に育てられ、 複雑な家庭環境の許、若くして働きに出る。 職場に客としてやってきた、最初の夫と知り合い結婚するが、 ヤクザだと知らずに新婚生活を送り、やがて子供が生まれる。 夫は、無理やり施設に子供を預けさせ、新妻を働かす。 バタ屋、工員など小銭で生活を凌ぐが、結局は水商売の世界へ。 そこで観たショービジネスの舞台。殴る蹴るのDV夫は、彼女をストリッパー に仕立て上げ金をかすめた。 夫から逃れるために各地を転々としても、再び捕まってしまう。 またもや逃げる。今度は道後温泉で芸者になり、その地に落ち着く。 しかし、ふとした場所で現役のストリッパーに出会い、身元がばれてしまい、 道後を後にしなければならなくなった。街の目や業界に知れると 夫に見つかってしまう。 大阪へ出た。 再びストリップの世界へ戻ることにした。彼女にはこの世界しか ないと悟ったのか。 道後で知り合った男と再会し、次第に惹かれ合う。 かたや、ストリップの世界は、時代とともにハードなものが 要求されるようになってきた。 彼女も、ロウソクショーで脚光を浴び、「特出」(局部を見せること) で客を呼ぶ。 これまで幾度も、公然猥褻罪で捕まっている。 加齢や余生の事が脳裡をよぎった時、彼女は引退を決意する。 現在の男と引退後は、飲食店を持とうと思ったのだった。 最後まで客へのサービスを念頭において立った舞台。 引退興行の日、またしても彼女は捕まる。 実刑覚悟の身だった。 前掲の著書2作品は、彼女が捕まったあたり、あるいは、公判の最中で 終わっている。 ロウソクショー、特出、彼女の舞台での客へのひたむきさ。 そして、彼女の悲運な人生をレポートした記事が相乗効果を呼び、 一大、一条さゆりブームを呼んだのである。 著者駒田信二は、罪の意識か法廷で弁護人として立った。 これが、彼女、一条さゆりのストリッパー人生だった。 <加藤詩子氏> 先にも書いたが、加藤氏は、二年余りを彼女と過ごした。 ほとんど半同居のような感じである。 カメラ、筆記用具、テープレコーダーなどで、つぶさに彼女の 語ることを記録する。 しかし、加藤氏は、途中で疑問が生じるようになる。 彼女の語ることの内容に、真実味が伺えないことを。 話しがアチコチへ飛んだり、辻褄が合わなかったり。 彼女の死後、加藤氏は、衝撃を受ける。 彼女の虚言癖に。 彼女と過ごした日々はなんだったのかと、虚脱感に苛まれた。 自分を攻めた。 それは、彼女と関係のあった人たちをつぶさに追いかけて インタビューしたことで解った事実や周囲の同業者に聞かされた ことで判明したのだった。 私は、加藤氏の執念と情熱に鳥肌がたった。 そして、その誠実な態度に感銘を受けた。 彼女こそマスコミの鑑であってほしい。 駒田信二、孝学靖士は、一条さゆりという人間の言葉を聞いて 自伝的小説を書いた。 真実の部分もあるが、その大半は嘘で塗り固められたものだった。 おそらく眉唾を感じながら書いたにせよ、色々な意味で罪なこと だった。 加藤氏は、彼女から聞いたことや、彼らの小説が、真実に近いと 思っていただけにショックだったのだ。 しかし、一条さゆりを憎むことはなかった。 それが唯一の救いである。 <私> 7月から本著を三読した。 それほどまでに執心させたものは何だったのだろう。 加藤氏が彼女に出会って、彼女の言葉に耳を傾け、懸命に 世話を始めるくだり。 この時点で、作品に惹かれ出し、没頭するようになる。 430ページ二段体裁の本は大長編であるが、気にならないほど さらさら読み進めることが出来る。難解な文字など一切無い。 それが、淡々とした文章になるのだろう、読みやすい。 しかし! 100ページを越した処で、ドンデン返しのように、彼女の 語った言葉は、嘘であったという事実を示威される。 前掲の生い立ちからストリッパーに至るエピソードも 嘘で綴られたものだったのである。 これは、一条さゆりに関する本において、かつて無かったこと。 ぐっと惹き込まれる。 著者加藤氏は、丹念に過去に関係した人間たちと会い、その 口から真実を聞き出す作業を繰り返す。 まさに、マスコミのあるべき姿。 それは、パズルを組み合わせていくような作業で、読み手である 私も途中で難解な感じになってくる。 登場人物が多数に亘るし、特に一条が肉体関係を持った男だけの 数にしても相当である。 まるで、三国志に登場する人物のように、目まぐるしい。 一条の実の息子に至っては、よくぞインタビューにこぎ着けた ものだと感心してしまう。 そして、最初の夫だった人物はヤクザではなかった。 凄く地味な男だったのである。 何もかもが、訳わからなくなってくる。 しかし、その難解さに戸惑いながらも惹き込まれていく自分がいる。 加藤氏の熱意が徹頭徹尾伝わってくる。 それは、裁判時の小沢昭一氏の不誠実にも憤ったり、二代目・一条さゆり の売名行為への批判もあったりと、一条さゆりと過ごした彼女ならでは の拘りがあり、それがヒシヒシと感じるのである。 加藤氏を愛おしくなるほどの徹底ぶりである。 私は、仕事の車でほぼ毎日のように、JR新今宮、南海線新今宮、 阪堺線霞町駅あたりを通過する。 そのたびに、彼女たち(一条さゆりと加藤氏)の事が頭をよぎる。 この三ヶ月、本著の影響なのだろう、釜ヶ崎あたりで、切ない思いに 浸るのである。 胸が痛くなる。 これからも、ずっとこうなのだろうか。 彼女たちだけのことでなく、釜ヶ崎という街とそこに住む人々が そうさせているのだろうか。 若い時分、新世界や飛田商店街が、馴染みの街だった。 そこで出会った人やモノを振り返る時、哀愁を感じる瞬間がある。 それも相重なって、複雑な想いが増すのだろうか。 だから、胸が痛い、のである。 私にとって、あのあたりは、特別な感慨がある。 一条さゆり伝説.jpg 「初代一条さゆり伝説」(小倉孝保著) 本著にも、加藤氏の名前が出てくる。 1999年4月発刊。加藤氏著は2001年発刊。 小倉氏も、一条さゆりにインタビューして、 この本を書き上げた。 しかし、嘘に気づきながらも、彼女の語る言葉を 載せることになった。 本著は、加藤氏とは違った視点で、書き綴っている。 主に、釜ヶ崎という土地柄や時代背景なども織り交ぜながら 彼女を描くので、学術的な傾向になったりする部分もある。 これを読んだ後に加藤氏の著作をお薦めする。 小倉氏は、加藤氏の著作を読んだ時、その大ドンデン返し ぶりに、複雑な思いが錯綜したことだろう。 CD一条さゆりの世界.jpg 「まいど・・・日本の放浪芸 一条さゆり・桐かおるの世界」 一条さゆり引退後に、小沢昭一氏が、監修し収録したもの。 彼女の饒舌さに、ある種詐話師的な臭いがする。 加藤氏の作品を読んだ後に聞くのと、前に聞くのではエライ 違いになってくる。 二代目・一条さゆり.JPG 「ストリッパー・二代目一条さゆり」 はっきり言って、記憶に残るような著作ではないと思う。 なぜ、一条さゆりの名前を継承したのか。 売名しか無かったのか、どうも判らない。 難波屋.jpg 一条さゆりを偲ぶ会チラシ.jpg 新聞記事.jpg 今年8月に催されたイベント。 会社帰りに行ってみたが、満員で入れなかった。 話しを聞いてみたかった。 「難波屋」は、安価なものを提供してくれる良心的な立ち飲み屋である。 開放会館.jpg 釜ヶ崎開放会館。 一条さゆりの終の住処となった処。 生活保護を受けながら、ここで暮らした。 加藤氏は、当時住んでいた大国町から自転車に乗って駆けつけた。 開放会館の三階.jpg 三階が、彼女の居住していた処。 内部に入ってみたい衝動にかられたが、やめた。 センター.jpg センターと称される処。 日雇い労働者たちが、職を求め参集する。 この日、私が見た光景は、ワンカップを片手に語り合う 人たちの姿。 ワンカップが、あれだけずらりと並んだ風景は、他では 滅多にお目にかかることはないだろう。 杏林記念病院.jpg 一条さゆり終焉の地。 釜ヶ崎から目と鼻の先にある病院。 門構えが、カマ周辺の特徴ある病院。 今、加藤氏は何をしているのだろう。 パソコンで、「加藤詩子」と検索しても一条さゆり以外は 何も引っかからない。 幸せに家庭に入ったのだろうか。 その後の氏の行方に興味があるし、現在の心境を知りたい。 是非、もう一度氏が書いた文章にも触れてみたい衝動に 駆られる。 是非、本著を一読戴きたい。 人間の運命、性、生き様、すべてが凝縮されているような作品 である。 私は、あえて、一条さゆりの何が真実で、何が虚なのか書かなかった。 いや、書けなかった。 是非、本著を手に取り、各々で感じていただきたい。 人間の奥深さを、、、、、、 それは、とっても切なくて、哀しいもの、である。 さらばストリップ屋.jpg 新世界物語.jpg 新世界ヌード劇場.jpg

一条さゆりの真実―虚実のはざまを生きた女

一条さゆりの真実―虚実のはざまを生きた女

  • 作者: 加藤 詩子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 単行本
初代一条さゆり伝説―釜ヶ崎に散ったバラ

初代一条さゆり伝説―釜ヶ崎に散ったバラ

  • 作者: 小倉 孝保
  • 出版社/メーカー: 葉文館出版
  • 発売日: 1999/04
  • メディア: 単行本
一条さゆりの性 (講談社文庫)

一条さゆりの性 (講談社文庫)

  • 作者: 駒田 信二
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1983/02
  • メディア: 文庫
一条さゆり・裸の人生 (1973年)

一条さゆり・裸の人生 (1973年)

  • 作者: 孝学 靖士
  • 出版社/メーカー: 六月社書房
  • 発売日: 1973
  • メディア: -
まいど・・・・「日本の放浪芸」

まいど・・・・「日本の放浪芸」

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 1999/12/16
  • メディア: CD

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