「何を今さら…」の記事ですが、一応報告することを義務付けられている(?)ので、やっときます ユルスナール 1995.08.18 サド 1996.03.18 ビュトール 2005.11.16 そして ル・クレジオ 2010.05.14 祝・岩波文庫化! 物質的恍惚 でも、これは461ページとあまりに荷が重いので… 代わりに、続いて岩波文庫化された(2010.06.16)こちらを紹介しておきます(笑) 悪魔祓い 184ページで3分の1は写真 なので、読むのは楽勝でしたが、文庫本なのに価格が1200円(+税)と大台を突破してしまい家計に大打撃でした 内容は、いわゆる文明批判なのですが、束の間視点を換えて無責任に批判を展開、気が晴れたら棚上げしてあった文明人の衣をまとい、再び秘かな愉しみにどっぷりと浸るといった、ありがちな文明批判とは一線を画する…腰の据わったものです ル・クレジオは、冒頭でいきなり言ってます 「どうしてそんなことがあり得たのかよくわからないのだが、とにかくそういう具合なのだ。つまりわたしはインディオなのである。」 このすっとぽげた…いや、潔い宣言に、純粋(?)日本人であるにもかかわらず、母国はフランスであると当blog で言い続けている私は、親近感を覚えてしまいました(笑) そして、 「たぶん、わたしはあまりよいインディオではない。とうもろこしの栽培もできないし、木をけずって丸木舟を作る方法だって知らない。ペヨーテ(サボテンの一種で幻覚性をもつ)を食べても、メスカル(りゅうぜつらんを主原料とする蒸留酒)やチチャ(噛んだとうもろこしでつくった発酵飲料)をのんでも、わたしの体にはあまり効果がない。」 というくだりを読んで…これで1200円(+税)の元は取れたと、大満足 「ああ、つなかったあ!」という瞬間があるものですが、まさしく、この時がそう 「ペヨーテ」、「メスカル(メスカリン)」という言葉で オルダス・ハクスリー → ハヴロック・エリス → ル・クレジオ という黄金ホット・ラインの開通です さて、ル・クレジオの文明批判についてはこれくらいにして(あっさりと…笑) 本書の中では、独自の音楽論も展開されているので、それを紹介しておきます インディオたちは沈黙につきまとわれている。いつの日か、たぶん沈黙は、わたしたちのところまでやってくるだろう。たぶん沈黙は、わたしたちをおおい、わたしたちの肉体の内部に入り込むだろう。…もし、沈黙がコンクリートの小部屋にまで達するなら、そしてもし、扉を通り抜けるなら、インディオの沈黙は、多くの言葉を消すだろう。沈黙は、それらの音楽をやすやすと破壊し、スピーカーと鼓膜をつぶすだろう。沈黙が消すものは、たぶん音楽ではなくて、音楽のなかにある牢獄だろう。 インディオの笛の音と、明確に発音される言語との中間に、歌がある。しかし、インディオにとって、歌もまた沈黙の一形態である。歌は、ゆがめられた語、音色、声の強さと高さ、母音の脱落、リズム、発音などによって解りにくくされ、変質された言語である。インディオは、和声的な音楽を知らぬと同様に、旋律も知らない。歌の旋律はインディオの興味をひかない。インディオには、そういう趣味はないのだ。インディオたちは、美しい歌など欲していないし、彼らにとって、「節まわし」などどうでもよいのだ。彼らの歌の節を口笛で吹くことはできないし、どの歌もみな同じだ。歌には記憶がない。 蛇食鳥や、かわせみや、はいたかや、みそさざいには鳴き声がそれぞれ一つしかないように、人間の歌もまたただ一つなのである。歌は人間の身分証明(アイデンティティ)であり、スローガンであり、紋章なのだ。いろいろに変えてなんになろう。新しい「曲」をつくりだしてなんになろう。インディオは、このような競争や商売には意図的に無関心である。人間の歌は、過去の深みから直接に伝わって来たもので、変質することもなしに、時間をよぎって来たものだ。…唯一の歌しか存在しないのである。 旋律的な美しさ、「節まわし」の説得力、音楽的主題、これらすべては人間の領域に属するものであって、人間の自己満足の楽しみにほかならないものだ。白人たちが歌う繊細で、甘美で、気取った歌。黒人奴隷の悲しげで饒舌な歌。愛の歌、労働の歌、希望と欲望の歌、戦いと死の歌、わたしたちは、こういうものならよく知っていて、それらを信ずることを学んできた。しかし、インディオにとって、こういうものは存在しない。欲望や情熱を表現するためなら、言語だけで充分なのであって、言語を音楽化するとは無駄な贅沢だ。 (インディオの)歌の不自然な表情は、人間の耳を楽しませるためのものではなく、地上のものではないものと連絡するための試みである。歌は、論理的な脈絡を破壊し、人間の言葉を変質させ、新しい論理、すなわち、音色と音調の論理を導入するものであるからして、まさしく魔的なものである。魔につかれることが必要なのだ。こうした酩酊状態を求めることなしに…歌うということは、インディオにとって、一人で喋るのと同じことであって、無意味である。歌によって、インディオは、可能性や、幻想や、心霊体(エクトプラスム)に扉を開く。 洋楽ヒット曲のチャート・マニアだったということは前に自白しましたが、ル・クレジオのこの容赦ない糾弾は厳粛に受け止めなければなりません ル・クレジオ作品は、こちらも文庫化されていたようです(河出ですが…) 大洪水 河出文庫 なかなか積読状態が解消されなくて困ります 今日の1曲 Spirits In The Material World 「マテリアル・ワールド」/ The Police http://www.youtube.com/watch?v=-fyG7du8_bU ゴースト・イン・ザ・マシーン 紙ジャケット仕様 さて… 悪魔といえば、「あくまをころしてへいきなの?」の女神転生(メガテン)ですが なんと10年振りに新作が出たそうです 真・女神転生IV い、いや…やってないですよ やったら、確実に魔界に突入、廃人化してしまいますもの でも… 「信者」である証を立てるために、ヤフオクでこんなものを入手してしまいました 真・女神転生 御祇島千明 複製原画集 メガテンの悪魔絵師ときたら金子一馬ですが、この御祇島千明もなかなかいい味出してました で、ちょっと調べてみたのですが、御祇島千明は漫画家夫婦で旦那は見田竜介って人 見田と言えば、有名な社会学者、見田宗介なんてのがいたなあと思ったら、なんと宗介はこの竜介の父親だそうです さらに竜介の祖父はマルクス主義経済学者の見田石介だとのこと また、見田石介の叔父は警察署長の甘粕春吉だそうで、あれ、甘粕って何よと思ってたら… その甘粕春吉の息子が陸軍憲兵大尉の甘粕正彦…そう、甘粕事件でアナーキスト大杉栄と伊藤野枝夫婦を虐殺し、後に満州に渡って暗躍、映画『ラストー・エンペラー』にも登場したあの人です メガテン → 御祇島千明 → 見田宗介 → 甘粕大尉 → 大杉栄&伊藤野枝 と見事につながってしまいました 次回予告 メアリとヴィクトルの物語です
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