<あなたは最初の人間として生まれたのか。山より先に生まれたのか。神の奥義を聞き、知恵を自分のものとしたのか。(7.8節)>
ヨブ記は15章からヨブと友人との議論の第二ラウンド、次に第三ラウンドと延々と続き、今まで読み通したことがない。
「人間の苦難を取り扱った『ヨブ記』が、読者にまで苦痛を与えるという事実こそがこの書物の持つ凄みだと言えなくもありません。内容の進展もないままだらだらと続くのは、ある意味で苦難の本質をついたことだと言えるからです。」と解説書の著者は記す。
神は人間がもともと持ってもいない清さをヨブに求められるが、それは不当な要求だと訴えた。持ってもいないものを出せと言われるがそれは無理なことだし、それができなくても罪にはならないはずだ。だから、自分は間違っていないのだと主張した。
そして、神が人間の人生に決定的な力を持っておられるのに対し、我々は自分の人生なのに何もできないで、ただ神の決められたとおりに受け入れるしかないと嘆いた。神と人間とは全く「格」が違うのだから、神が我々に神のようにありなさいと要求されるのは横暴だと言った。人間をか弱き者として扱って下さいと願った。
ヨブは今のこの苦難の理由を知りたかった。少しだけこの休まることのない苦しみを和らげて下さい。そうして、あなたとお話をさせて頂きたいのですと訴えた。そして「なぜ、あなたは御顔を隠し、わたしを敵と見なされるのですか。」と嘆いた。
見舞いに来た友人たちの慰めの言葉や励ましの言葉に「神に代わったつもりで、あなたたちは不正を語り、欺いて語るのか。神に代わったつもりで論争するのか、神にへつらおうとするのか、黙ってくれ、わたしに話させてくれ」とヨブは苛立たしく答えた。
教会からもよくお見舞いにいく。相手のことを思い、心を込めてお話しするが、時には病状を知り空しい気持ちになる。そのことを、言葉を受け取られる方はもっと敏感に感じておられるのが伝わる。一緒にお祈りして神に自分の弱さを恥じ、自分の言葉の貧しさをカバーしてくださいとすがるしかない。
自分を丸裸にして全身全霊で神に訴えるヨブ。その横で彼をなんとか励まそうとしながらかえってヨブを苛立たせる3人の友人、彼らはヨブをもてあましながら、それでもヨブの前から退散せず、ヨブになおも呼びかける。
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