【今回は、久々に赤い彗星さんからいただきました。引き続きよろしくお願いします。】 JDCの読書会の対象として辻真先の『盗作・高校殺人事件』(1976)を選んだこともあって、17,8年ぶりに辻真先のソノラマ初期三部作(『仮題・中学殺人事件』(1972)、『盗作・高校殺人事件』、『改訂・受験殺人事件』(1977))を読み返しました。 寄る年波もあって、『仮題・中学殺人事件』以外はストーリーからトリックまで、全てをきれいさっぱり忘れてしまっていたので、先入観に囚われることなく楽しく読み返すことが出来ました。こうなったらもう「再読」とは言えないかもしれません。 さて、辻真先のソノラマ初期三部作の特徴は何と言っても、「意外な犯人」が設定されていることです。『仮題・中学殺人事件』では「犯人=読者」、『盗作・高校殺人事件』では「犯人=作者」(この作品では、作者は犯人だけでなく被害者と探偵も兼ねるという言わば一人三役という何ともアクロバッティックなものになっています)、『改訂・受験殺人事件』でも前二作と異なりはっきり書く訳にはいかないのですが、何とも型破りな犯人設定となっています。 こうした「意外な犯人」の設定を成り立たせるために、辻氏が多用している手法が作中作の導入といったメタ・フィクション的な手法です。小説という虚構の中に作中作という形でもう一つ別の虚構を取り込んでいく、言わば、二重の虚構という作品構造がこうした無茶な犯人設定を可能にしているのです。 こうした傾向はソノラマ初期三部作以降も続いていきます。というか、更にパワーアップされていきます。例えば、『天使の殺人』(1983)の元版の帯にはこう書かれています。 「死者は誰か? 犯人は誰か? 探偵は誰か? あつ!と驚く異色ミステリ」 つまり、死者も犯人も探偵も全て謎というわけです。こうなると、もう訳が分からなくなりますが、物語の結末は華麗に着地を決めるので、読者としては拍手を送らないわけにはいきません。まさに豪腕としか言いようがありません。 ソノラマ初期三部作に端的に表れていますが、辻真先が作品を通して常に追求し続けているもの、それは「(結末の)意外性」に他なりません。「作者が犯人」といった設定はこけおどしのようにも受け取られる場合もあるかもしれませんが、辻氏が作品を通して常に追求しているのは「最大級の驚きを読者に届けること」なのです。この目的を達成せんがために、辻氏はやりすぎとも思えるアクロバティックな構成を持つ作品を書き続けているのです。「驚き」という一点に全てを賭けている作家、辻真先という作家を端的に表現するとこういう形容がふさわしいように思います。 あと、辻真先を読書会で取り上げようと思った理由の一つとして、(作品のレベルに比べて)辻真先に対する評価の低さというものがあります。まあ、『完全恋愛』(2008)で第9回本格ミステリ大賞を受賞していることからも分かる通り、玄人筋では非常に評価されている作家なんですが、作家歴が長い割に一般に名が通っているとは言い難いように思います。(当然のことですが)全ての作品が良いという訳ではないし、「迷犬ルパンシリーズ」のように手に取るのをためらうような作品もあるということもありますが、最大の理由として、代表作の多くが絶版になっていて手に取ることができないという点を挙げることができます。 ソノラマ初期三部作は東京創元社が2004年に復刊するまでは長らく手に取ることができない状態でしたし、ソノラマ後期三部作(『TVアニメ殺人事件』(1978)、『SFドラマ殺人事件』(1979)、『SLブーム殺人事件』(同左))や『急行エトロフ殺人事件』(1982)、『アリスの国の殺人』(1981)といった代表作も絶版状態です。作品を読めなければ評価することもできません。特にソノラマ後期三部作は一度も復刊、再刊がなされていないので、辻真先作品の復刊に意欲的な東京創元社が頑張ってくれることを切に願います。
↧