『プライドの社会学』 奥井智之 2013/04
著者は亜細亜大学経済学部教授。 プライドを社会学的視点から考察する本。
結論っぽいものはない。エッセイのような内容。
プライドは一般に心理学の研究対象である。しかし自分に誇りを持つことは社会関係のなかで生起する出来事であるから、社会学的に接近することも可能ではないか、という背景。
「わたしたち」という意識で結ばれた集団、すなわちコミュニティこそがプライドの源泉であるとし、プライドとは「自分や自分の属する集団に誇りをもつこと」と定義する。
米社会学者トマスによる「トマスの公理」によれば、「人々がある状況を現実と規定すれば、結果としてそれが現実となりがちである」とある。
今日、自分自身に誇りを持つことが生存の条件となりつつある。その際アイデンティティとプライドはコミュニティの代用品かもしれない。コミュニティの無いところにはプライドも無いからである、と述べる。
特攻隊員のプライドの源泉は家族であった。
人は一定の場所で生活していると、その場所に親しみを感じるようになる。これを「トポフォリア」と呼ぶが、これは錯覚だと述べる。実際にはそこでの愛は、その場所に住んできた人々に向けられている。
イギリスでは16世紀のエンクロージャーでコミュニティが崩壊し、人々が「勝ち組」と「負け組」に分断された。人々は「どうプライドをもって生きるか」が問われている。
『日本書紀』の仁徳天皇の炊煙の故事など、日本では天皇と人民の一体感が強調されているので、ヨーロッパ的な階級対立が問題になりにくかった。
現在日本人のナショナル・プライドの低さは各国から突出している。ドイツとイタリアも比較的低い。グローバル化が進行する状況で、個人の弱さ・脆さはナショナリズムを標榜するコミュニティを生む。それがプライド回復のための主要な方策だという。
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