<神を畏れる生き方が、あなたの頼みではなかったのか。完全な道を歩むことがあなたの希望ではなかったのか。(6節)>
「こんなにわたしを苦しませるのなら、初めからわたしをこの世に送り出して下さらなければよかったのに・・・」ヨブが悲痛な言葉で神に訴えるのを聞いて友人のひとりエリファズは話しはじめた。
「あなたは多くの人を諭し、彼らの弱った手を神の名を呼んで強めてきた。あなたが掛ける神の言葉は倒れる人を起こし、崩れそうな人の支えとなっていた。」ヨブには周りの人を癒す力が与えられていたことをエリファズは称賛した。
その後「人には神の名を呼んで励ましていたそのあなたが、ひとたび自分の上に苦難が降りかかるとすっかり弱ってしまい、怯えてしまっているのはどうしたことか。神を畏れる生き方が、完全な道を歩むことが、あなたの希望ではなかったのか。」とヨブに言った。
先日お見舞いしたEさんは、手術の経過も良く今後はリハビリに励まれると聞いて喜んだが、すっかり弱っておられ、また礼拝を守れるかどうかを嘆いておられた。それに「神様が考えて下さるわ」と答えたが、自分のこととして考えない口先だけの慰めであったことに気付かされた。
エリファズは更に「神が罪のない人を滅ぼされたり、正しいことをしている人を死に追いやったりしたことがあるかどうか考えてみなさい。私が知る限りでは災いを起こし、労苦を与える者がいずれはそれらを身に負うていた。」と正しい人ヨブがそのような目に遭うはずはないだろうと慰めた。
「エリファズはヨブに再び立ち上がってもらいたいのです。以前の素晴らしい男に戻ってほしいのです。彼は、あれだけの立派な信仰がひとたび不幸に見舞われると崩れてしまう、いったいあなたの信仰はどこに行ってしまったのですかというのです。」と井上牧師は説かれる。
サタンが神に言った「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか。」という言葉がここでもよみがえる。エリファズがここで見たヨブの信仰は「自分に不利なことをされた神に、ヨブは恨みの言葉をはいている」姿だった。
エリファズ自身が持つ「因果応報」の信仰は、ヨブを苛立たせることになった。
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