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第八百五十五話 恋の揺れ戻し

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「ねぇ、わたしと前カノとどっちが性格いい?」

 アイスティーのグラスに差し込まれたストローから唇を離してから、メグはいきなり聞いてきた。こういう不意打ちが得意なのだが、たいていは深い意味はなく、思いつきで言っているだけだ。

「なんだよ、いきなり。そんなの比べられないよ」

 どっちが美人なのかではなく、性格を聞いてくるとことがメグらしい。メグは自他ともに認める美人だから、俺の前カノが自分よりきれいな女であるはずがないと思っているのだ。そしてそれはおおむね当たっていた。

「でも、なんかあったから別れたんでしょ?」

「いや、別に何かがあったわけでは……」

「ふぅん。ま、いっか」

 メグとつきあいはじめて半年になる。二年前にヒカリと別れてから、しばらくはもう女の子とあつきあわないと思っていたのだけれども、新しくいきつけとなったバー駱駝屋で出会ったのが一年前。しばらく様子を見ていたが、年末に駱駝屋のクリスマスパーティがあって、その盛り上がりに乗じてつい告ってしまったのだ。メグも俺のことが気になっていたようで、俺たちはいともすんなりとカップルになった。メグは超が付くほどの美人ではないのだが、どこか男が引き寄せられるものを持っていた。

 小悪魔。そう、最近流行りの言葉で言うとそんな感じ。見た目はそれほどでもないのだけれども、男の心に揺さぶりをかけるような言動があり、なんとなくそういう雰囲気が外見にも影響しているように思えた。決して派手ではないがモノトーンを基調にしたお洒落が好みのようで、そこに一点だけ黄や赤を入れるようなセンスの持ち主で、会話の中でも女性らしいやんわりした口調なのに、どこか人を試すような台詞が散りばめられたりするのだ。

「ねぇ、一年過ぎたら反省会しましょうよ」

「反省会?」

 また不可解なことを言い出した。

「なんの反省会をするの?」

「わたしたちふたりのに決まってるじゃない」

「俺たちの反省会?」

「そうよ。恋人反省会。それでまた一年つきあうかどうかをお互いに考えるの、どう?」

「なんだよそれ。なんか言いたいことがあるんだったら、いま言えよ。イマでしょ!」

「別に。いまは何もないわ」

「ならなんで?」

「そういうこともアリかなって。だって馴れ合いな恋人ってなんかやじゃない。わたしね、思うのよ。恋人にしろ夫婦にしろ、互いに少しくらい緊張感があるほうがいいって」

「緊張感って……それ、ストレスじゃね?」

「ストレスって思うのならやめたほうがいいわね」

「じゃ、やめようよ」

「いや、だからね、ストレスになるようなことじゃなくって、少しだけ、塩加減くらいの緊張感、あっていいと思うけどなー」

「塩加減ねぇ」

 空になったグラスの氷をストローで弄びながらメグの顔を見ると、可愛い顔がにまにま笑っていた。こういう突飛な発想が面白いし好ましくも思うのだけれども、ときには面倒くさく感じることだってある。俺は無意識に喫茶店のテーブルに並べられたふたつの小さな容器に指を伸ばしていた。塩が入った白い容器と胡椒が入った黒い容器。どちらが欲しいかって言われても、そのときどきで違う。塩味が足りなければ白い方、胡椒が足りなければ黒い方。そのどっちかを選べなんて言われるのはナンセンスだ。だが、恋人はスパイスとは違う。両方を上手に使い分けるなんて芸当は、俺にはできそうにない。

 別にメグを前カノと比べようなんて考えたこともないのに、メグが聞いてくるからつい比較してしまう。小悪魔なメグに比べると、ヒカルはおっとりしていてやわらかい女性だった。物足りなく思うこともあったが、おおむね安心できる、一緒にいて和める女性だったといまになって思う。

 なんで別れてしまったのかな。答えははっきりしている。何が悪かったわけでもなく、俺自身から遠ざかったのだ。彼女の影響なしに自分自身の人生を考えたいと思ったから。学校を出て間もない頃の俺はなにかしら焦っていて、愛だの恋だの、そんなことに時間を咲いている場合ではないと思っていた。まして結婚がちらほらするような関係は目障りだと考えていたのだ。二年過ぎたいまはなぜあんなに焦っていたのかなと不思議に思うくらいに。

 実はときどきはヒカルのことを思い出す。思い出す度にメグに悪いなと思いながら。だけど、喧嘩別れしたわけでもない前カノのことが気になるのは当然じゃないかと自分で言い訳する。ヒカルにいま彼氏がいて、幸せにしているのなら何もいうことはない。でももし、そうじゃないとしたら……もしいま、ヒカルがもう一度一緒にいたいなんて言ってきたらお前はどうする? 自問自答しながらさまざまな妄想が膨らみはじめる。

 世の中のプレイボーイと呼ばれる男はいったいどんな性格をしてるのだろう。俺にはとても想像つかないな。

「キミィ、いまどっか行ってたでしょ」

「へ? なにが?」

「ぼんやりして、前カノのことでも思い出してた?」

 女の洞察力は案外恐い。

「まさか。ちょっと、夕べ寝不足だったから……」

 ヘラヘラと下手な笑いでどこまで誤魔化せているのか。メグが笑いながら額のあたりに意識を集中して俺の顔を見ている。

                                了


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