「セレンディピティ」はイギリス18世紀の文人ホレス・ウォルポールの造語。「乱談」は、著者による造語。偶然による発見「セレンディピティ」は、理系ばかりではない。文系にもあるはず。理系の実験に相当するものとして、著者は「手当たり次第、本を読む」乱読によって、可能と考えた。それで、『乱読のセレンディピティ』を出版した。が、もやもやが残った。「古来、おびただしい本を読破した人は少なくないが、セレンディピティということには無縁である」からだ。「あるとき、読書より放談、放言、談論」風発のなかにセレンディピティが生じうるのではないかと思いついた著者は、本書を上梓することとなった。 おもしろい本だ。いかに、目に、視覚に、文字に呪縛されタコツボ的世界に落とし入れられ、井の中のカワズのごとく、自分の世界に閉じこもり、ツマラナイ(創造的でない)在り様に甘んじているのかを知る機会となる。そして、そこから解き放たれるために「乱談」の必要性が説かれる。 著者の思いには、『乱談のセレンディピティ』のお手本としてサミュエル・ジョンソン博士の「文芸クラブ」やエラズマス・ダーウィンの「ルーナー・ソサエティ(月光会)」が念頭にある。さらにはハーヴァード大の「ハーヴァード・フェロー」や京大の「人文研」もそうだ。 ご自分の経験(友人ふたりとはじめた「三人会」)のことなども交えて、乱談の創造性について説いていく。おしゃべりが、ただのおしゃべりではなく、創造的なものとなるためには、サジ加減が必要である。そのサジ加減についても教示される。 「老いの繰り事」のように繰り返しが多いきらいもないではない。もっとも、それは、視覚と文字の呪縛から著者がすでに解放されて、音楽的、聴覚的世界に入っておられることからくるのかもしれない。繰り返しをとおし、読者はテーマをくちずさめるほどになる。それは、《ひとりではなく、同志と、本を読むのではなく、談話によって、新しい文化を開発することができる》というものだ。著者のハツラツとした思考に励まされ、さっそく、同志を集めにかかりたくなる本だ。
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