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10)コルシカ:帆走

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p.59ー66 コルシカ:帆走  日常のストレスから逃れるために、短い休暇を取ってコルシカ地方で帆走することに決めた。この頃のペーターは世界中のオペラハウスやその他諸々に求められて実際完全に旅から旅への生活を送っていた。チャーターしたヨットが待っているコートダジュールのアンティーブへ大急ぎで向かったとき、マンハイム州立劇場の拍手はまだ鳴り止まず、パルジファルの最後の契約仕事はまだ終わっていなかった。一行は、私たちとペーターの昔の学校とスポーツ仲間だったアクセル、ゲラルド、ワルターだった。兄と私はこの帆走はすばらしい思いつきだと思っていた。私たち5人の海は未経験の陸者たちは何も知らなかった。そして、世界周航の旅でもないのに、予想外の冒険が私たちを待っていたのだった。私たちが快適なクルージングを予約するほうが好きなわけを、みなさんはこれから知る事になる。  私たち5人は、ペーターのパルジファル公演の後、2台のスピードの出る車で夜通し走ってフランス国境へと突進した。何度かスピード違反をしたせいで、何フランか巻き上げられたが、早朝にはコートダジュールの美しいアンティーブに到着した。  何と言う気分か!ついさっきはどんよりしたマンハイムにいたのに、今はロマンチックなフランスの漁村の温暖な気候の中にいるのだ。最初に見つけたカフェで美味しい食前酒と一緒に海の空気を楽しんだ。  来るべき日のために真剣に話し合うなんてことは論外だった。私たちは最初の学校旅行でばかげたことをしでかす生徒みたいだった。学校の教師のアクセルが一緒だったから、そういう気分になるにはぴったりだった。「海賊船はどこだ」というのがペーターの一番の関心事だった。  ゆったりと十分な朝食をとった後、船員用の荷物袋を担いで、アンティーブの港へチャーターしておいた2本マストのヨットを捜しに向かった。この時の朝食が、私たち5人にとって、この先数日間の最後のまともな食事になろうとは夢にも思っていなかった。  私たちは美しい2本マストのヨットを見つけた。船長のアンドレが待っていた。狭い船室に入ると、フランス語しか話せない船長とはコミュニケーションに問題があることが、すぐにわかった。私たちはフランス語はほとんど駄目だったから、身振り手振りで話し、私は通訳の役割をある程度果たした。アンドレの最初の質問は、どこへ向かうかということだった。ちょっと相談して、地中海の美しい島、コルシカを目的地とすることに決まった。そこで、真剣に叫んだ。「出航、いかりをあげろ!」

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 我らが船長によるヨット操縦に関する多岐にわたる説明の後、私たちは暖かい太陽を心行くまで楽しんだ。常に海岸が視界に入っていたコートダジュールに沿って、小さな漁村の港に錨をおろすまでの初日の最初の行程はおよそ10キロに過ぎなかった。ダルムシュタット出身のワルター”提督”の短い辛口コメントはこうだった。「私のポルシェなら、この距離は5分もかからない」  もちろん彼は提督ではなかったが、身長2メートルの彼はものすごく立派に見えた。だから、私たちは彼を提督閣下と呼んでいた。実際は、この帆走の旅の間ほとんど船主の船室にいて読書三昧だった。  船長兼コックのアンドレによる最初の夕食、ほんの少しのサラダとこちこちのバゲットという相当つつましい夕食に、私たちはなんだかがっかりして、改善を望んだ。全く安くない船旅のフランス料理には、何かもっと違うものを想像していたからだ。夜は暖かく、穏やかに、静かに、船は、コルシカに向かっていた。  突如酷い状態になったとき、何人かはもう寝ていた。午前4時ごろだったと思う。私は舵を取っていた。その時、船首の上に白いしぶきが激しく叩き付けているのに気がついた。あっという間に甲板は波に洗われ。14メートルのヨットは1メートルを超える波に翻弄された。もはや誰も眠ってはいられなかった。私たちは、その直後不愉快な短波放送で知った、コルシカ方面の悪名高い嵐の中に突っ込んでいた。  私は必死で舵にしがみついた。羅針盤(ジャイロコンパス)からは目を離さなかった。その時、ゴムボートの綱がちぎれたのに気がついた。アンドレ船長はこの救命ボートが流失した場合、10000フラン要求するつもりだったから、私たちは慌てて捜しはじめた。メートル級の波の中で絶望的かつ猛烈に危険な試みだ。兄がチョークみたいに蒼白になって甲板に上がってきた。数回吐くと、すぐに船底に消えた。完璧な船酔いだった。  私は吐き気はほとんどなかった。疲れ切った友人が救命胴衣なしで甲板にいるのを目にしながら、強風の中、コルシカの港町カルヴィを目指し続けた。私たちは船長のアンドレから救命胴衣の場所を聞いていなかった。なんと救命胴衣などひとつも用意していないことが後でわかった。後にある船長に、この信じがたい話をしたのだが、信じてもらえなかった。こんな酷い話は聞いた事がないそうだ。  それでも、明け方には陸が見えた。コルシカの山々のシルエットが確認でき、カルヴィの突堤がもやの中にゆっくりと姿を見せた。  アンドレ船長は、見物人たちが港の船着き場のはしっこから興味津々で見ている前で、ヨットの錨の綱を切るという離れ業をやってのけた。この状況で船は操縦不能になったからダイバーに救助してもらうしかなかった。警察がこの非常に困った状況を調べるためにやってきた。だれも甲板に出ようとはしなかった。そして、私たちは、我らがアンドレ船長が船乗りとして本来何らかの能力を持っていたにしても、この時点で、その船乗りとしての能力に疑いを持つに至った。  私たちがまだ生きていて、不安な気持ちにしろ、いきなり、コルシカの地面に確実に立てたのはうれしいことだった。私たちは、少し休むと、すぐに気を取り直して、小さな港町に足を踏み入れた。私たちは、一人ヨットに残るアンドレ船長に別れを告げた。私は船長に「夕方には戻るよ」と伝えたが、この航海で私たちとアンドレ船長の間に深い友情が生まれたなんてことはないのは分かっていた。  目的はカルヴィの港にある小さなバーで、すぐに着いた。みんな、無事を連絡するために、すぐに家に電話したかった。映画「バウンティ号の反乱」が頭に浮かんだ。というのは、まさに私たちは、帰路は、船長もろとも船を捨てて、飛行機にしようという考えに至っていたからだ。しかし、しばらくすると嵐は去り、青い空に暖かい太陽が顔を出し、私たちは冷静になって状況をよく考える事にした。  おいしい食事とビールとシャンパンで、私たちはおしゃべりして冗談を言う気分を取り戻し、元気になった。日が暮れたころ、楽しい気分で歌いながらぶらぶらと船に戻った。私たち5人の酔っぱらった海の男たちは、そのドイツ語の歌がカルヴィのヨットハーバー中で共感を呼ぶなどとは全然思っていなかったのだが、私たちの楽しげな大声に船長たちがおもしろがってみんな出てきた。不思議なことに、ペーターも私も合唱の調子外れ振りが全然気にならなかった。アンドレは私たちのために夕食を準備して何時間も待っていたわけだから、不機嫌だった。  短い夜が明けると、私たちは再び空きっ腹を抱えて、警察の助けを借りず、ひそかにコートダジュールへ向けて、出発した。そよ風の吹く暖かい太陽の下の旅がこの二日間の埋め合わせをしてくれた。私たちは甲板でうとうとして、あの大変だった体験から立ち直った。カモメが数羽見えて、フランスの海岸に近づいたことがわかった。まもなく私たちはアンティーブのヨットハーバーに無事に入った。  足下に再び確かな地面を感じるのはうれしかった。アンドレ船長との別れは全然つらくなかった。私たちは船長に、一度も出てこなかった素晴らしいご馳走のお礼を言った。彼の方も私たちを見送るのがうれしかったのはほぼ間違いないと思う。ペーターは二度と船には乗りたくないと真顔で断言し、だれもそれを疑わなかった。    ワルター”提督”閣下は私たちのためにちょっとしたびっくりプレゼントを隠していた。彼は遅ればせの誕生日のお祝いを計画していた。ジュアンレパンのファーストクラスのホテルにシングルルームを5部屋、内緒で予約していた。すばらしい海を眺められるホテルのレストランでの夕食の間、ボーイ長と隣の席の客たちは、5人の飢えた海の男たちはいったいどれだけの量を平らげられるのかと、びっくり仰天していた。歌はなし、話題はいっぱいの、この最高の夜をもって、私たちの冒険の旅はゆっくりと終わりを迎えた。 そして、日常が戻った!
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目次 ヨッヘン・ロイシュナーによる序文 はじめに ロンドン:魔弾の射手 バイロイト:ヴォルフガング・ワーグナー パルジファル:ヘルベルト・フォン・カラヤン ロリオ:ヴィッコ・フォン・ビューロウ リヒャルト・ワーグナー:映画 シェーンロイト:城館 ペーターと広告 コルシカ:帆走 モスクワ:ローエングリン

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